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和泉名所図会
 
和泉名所図会いずみめいしょずえ




【管理人所蔵「和泉名所図会 全四巻」】



『和泉名所図会』は、上記の「名所図会」の項でも述べましたように、著述 秋里籬嶋、画工 竹原春朝斎のコンビで寛政八年(1796年:11代将軍家斉の時代)に刊行された名所図会で全四巻からなっています。

和泉名所図会の序に次のように記されています。
人間之楽莫若游名山水而養吾邦称三絶景如松島如厳嶋天橋立聞在殊寺至於霊祠名刹及古跡之見歌詠者櫛比鱗次則畿内其尤也言参也冠裳所□歩山城一対猶々弗能披喩況其它類之毎観図懸僅慰懐而巳今観比諭於和泉佳勝靡所不多其喜可知也此其所問不取外而弁言於巻端言爾 寛政乙卯初冬  正二位花山院大納言愛徳卿 通斎主人識
(浅学の当サイト管理人には、解読できない漢字の羅列ですが、追々と解読し解説する予定にしています。)

和泉名所図会の最初の『凢例はんれい』には、次のように記されています。
『一 此書このしょ攝河泉三州せっかせんさんしゅうの内なり。さきに、山城やましろ大和やまとあらわす。於是ここにおいて五畿内名所圖會ごきないめいしよづゑ全部ぜんぶなる
一 和泉國北極いづみのくにほっきょく封域ほういく世俗せぞく堺津大小路さかいのつおおしょうじ攝泉せっせんさかいとす。
  しかれども、反正天皇はんしょうてんのうみさゝぎ高須寺たかすでら舊蹟きゅうせき七堂濱しちどうがはま大小路おおしょうじより北也きたなり
  國史こくしにみな和泉國いづみのくにとす。かるがゆえに、旧史きゅうしもとづいて、堺一津さかいいつしん此書このしょあらわす。
一 神社は延喜式ゑんぎしき神名帳しんみやうちやうよつってす。大廈たいかは圖し、小祠せうしは圖せず。ただ由縁ゆゑんしる而巳のみなり。
一 寺院じいん郷中村里ごうちうそんりに多し。由到ゆちあるをえらんて書し、新建しんこん浄刹じょうせつ、墳寺、道場の類は、多くこれを省く。
   まさに、堺津さかいつ佛院ぶつゐん菴室あんしつ等、すべて百八十六箇所あり。これらも、右の例に准して、撰んで載す。
一 和泉國に於て、和泉式部の旧蹟といふものほぼ多し。軒端梅のきばのうめ恋覺渕こいさめのふち、楊枝の清水、鏡石、鉄醤壺かねつぼ出誕しゅったんの地、
  没卒ぼつそつところ等あり。
   式部しきぶ、和泉守道貞は、任國してこゝに居す。其時、式部も亦こゝに来り給ふ
   然れども、和歌聞へず。ほとんど信用し難し、於是ここにおいて、多くこれを除く。』

【管理人注釈と疑問】
この和泉名所図会を含めた古書を読む時に、学生の頃古文を苦手としていた管理人にとって漢字、送り仮名が現在と異なるため難儀しながら何とか読破しようと頑張っていますがなかなか読み通すことが出来ません。
そんな状態ですが、ひとつの疑問点があります。
疑問なところは、この凡例の中で、『於是ここにおいて五畿内名所圖会ごきないめいしよずゑ全部ぜんぶなる。』と記されているのでが、書かれた文字のとおり読めば、「この和泉名所図会で五畿内すべてが完成した。」となるのですが、この和泉名所図会の刊行された5年後に『河内名所図会』が刊行されています。
なぜ、『五畿内名所圖会全部と成。』と記されたのでしょうか。刊行は後になったが、河内国を先に調査をしていて、和泉国の調査が一番最後に完了した、ということなのでしょうか。 これは、今後調査をしたいと思います。
さて、このサイトの本論については、メニューを分け掲載しています。そちらをご覧ください。  
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作成:2014年7月21日 17:04:00
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