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名所図会 巻1-12 如意明神ノ社

によ明神

市ノ町の東、宝巌菴の内にあり。[住吉旧記]曰、如意明神は、彦炎出見尊を祭る也。海臺わたつうみに入、干滿かんまん宝珠ほうしゆを得給ひてより、よろづこゝろのごとく行ひ給ふ。於是こゝにおいて、如意寶珠の義をもつて、神号ありけるかや。世人よのひと、これを子卯ねう乃社ととなへ、或は、子亥ねいの神とも呼ぶ。此地も、初は住吉の領地なり。
[甘露寺親長卿記]云、
文明十五年三月廿五日、三村みつのむらならびに子亥ねいの御前等に参詣す云云。
[逍遥院記]云、
廿八日、あみた寺へ招請ありしかは、まかりむかひて、大師の御作の弁財天なとおかみ、尊くなん侍る。ちかき寺の風呂に入て、夕つけて帰るほどに、境の濱を見めぐりて、光明院にかへりし云云。
宝巌菴ほうげんあんは阿弥陀寺と号す。近き寺の風呂は、今のぎよくれんしやしほ風呂ふろなるべし。光明院、共に次下に見へたり。

今の如意明神ノ社


向泉寺跡碑と並ぶ如意神社跡碑(堺市堺区市之町東4丁)

如意明神ノ社は、浄土宗阿弥陀寺境内に所在し村社に列せられたが、明治二十六年方違神社に合祀された。
【出典:堺市設置如意神社跡碑碑文】

 向井神社について堺市史では次のように記している。
 明治二十六年六月市之町東五丁別当阿弥陀寺の奉祀した無格社如意神社及び末社彦天津積神社を合祀した。境域千六百二十一坪、本殿、幣殿、拝殿、神輿庫を具へ、境内に愛宕神社、神明社の外に小祠四社があったが、明治四十年十月方違神社に合祀された。(向井神社調査書)
【出典:堺市史】
ということで、「如意神社跡碑」では、明治二十六年に方違神社に合祀されたと記されていますが、正確には向井神社に合祀され、更に向井神社が明治四十年に方違神社に合祀された、ということになります。

更新履歴
更新:2014年10月17日 22:13:03 今の如意明神ノ社を追記
作成:2014年 8月13日 15:39:05 再構築
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