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名所図会 巻1-13 方違明神社

かたたがひみやうじんのやしろ


                              仁德にんとく天皇陵    大山陵だいせんれうとも云
                              はんしやう天皇陵   楯井たてゐのみさゝきとも云
                              かたたがひのやしろ
                              くにのつじ

攝河泉の堺の地、向井領にあり、鳥居の額、かたたがひ大明神と書す。末社に八幡宮あり。此地、初は向泉寺境内也。

今の方違神社    堺市堺区北三国ヶ丘町2-2-1


方違神社鳥居


方違神社社殿

拝殿から望む本殿 本殿

御由緒書 方違神社のくろがねもち

永代常夜燈
「方違宮」と「別当 向泉寺」が刻まれています
神功皇后 御馬繋之松舊蹟碑

方違神社御由緒書
【御祭神(四座)】
八十天万魂神 (天神地祇)
素盞嗚尊
三筒男大神 (住吉大神)
息気長足姫命 (神功皇后)
【由  緒】
崇神天皇の朝、物部大母呂隅宿禰をして、此地に素盞嗚尊を祭らせ給ふ。神功皇后三韓より御凱旋し給ひし時、住吉大神の御神教に依り神武天皇丹生川上御斎禱の故事に倣はせ給ひ、此神地に於て親しく天神地祇を祭り皇軍の方忌除を祈り、忍熊王等の賊兵を平げ給ふ際、菰の葉に埴土を包み粽となして奉り、方違の祈禱なし給ひし霊地なり。後、応神天皇の朝、素盞嗚尊、住吉大神、神功皇后を合祀し給ひ、方違宮と称せらる。以上の如き御由緒に依り、当社は昔より方災除の神として崇敬者全国に遍く、普請、転宅、旅行の場合、当社の神符及び粽を受け方除祈禱の修祓を望む者多し。
            平成十二年十二月
方   違   神   社

明治四十年合祀 向井神社
 向井神社は方違神社の東南約半町に位し、仁徳、履中、反正三天皇、菟道稚郎子、百済王仁を合祀す。大化六年正月巨勢朝臣鳥麿を神主として、反正天王の神霊を斎祀せしめたところと伝へてゐる。
 本社亦一に楯井原社とも称せられてゐる。楯井とは神功皇后御親ら天神を奉祀し、湧出の霊泉を楯を以て劃せられた故事に因って楯の井と呼び、又反正陵が其井に向ふにより、向井社或は楯井原社とも呼ぶと云ひ、(向井神社調査書) 其東原明神と称するのは、王仁を祭るが為め、天王社と呼びは、牛頭天王を祀るが故であると云はれてゐる。(泉州志巻之一、全堺詳志巻之上) 
 本社は方違神社と共に別当向泉寺の奉祀するところであったが、明治維新後神仏分離の際に独立した。明治六年三月郷社に列し、同二十六年六月市之町東五丁別当阿弥陀寺の奉祀した無格社如意神社及び末社彦天津積神社を合祀した。境域千六百二十一坪、本殿、幣殿、拝殿、神輿庫を具へ、境内に愛宕神社、神明社の外に小祠四社があったが、明治四十年十月方違神社に合祀された。(向井神社調査書)
【出典:堺市史】

大阪府指定天然記念物 方違神社のくろがねもち
指定年月 昭和48年3月30日
胸 高 径 1.1メートル
幹   周 3.5メート
樹   高 6.8メートル
くろがねもちは、日本でも暖かい地域に多く生育する常緑樹で、市内には四十本をこえる大木が知られています。
大阪府下で指定をうけるくろがねもちは堺の二例を数えるのみで、なかでもこのくろがねもちは径・幹周が最も太く、そのひからびた樹皮からもかなりの年輪をもつ巨樹であるといえます。
この地はかつては方違神社の参道脇にあたり、現在は樹勢にもやや衰えがみえるこの木も、当時は豊かな緑につつまれていました。
【出典:くろがねもち案内板】
次ページに「方違宮縁起」を掲載しています。興味がある方はご一読ください。
更新履歴
更新:2014年10月18日 10:05:45 今の方違神社の追記
作成:2014年 8月13日 15:51:53 再構築
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