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名所図会 巻1-01 和泉国号始 茅渟之訳 堺津



神功皇后じんぐうくはうぐう、三かん御退治おんたいじ有て、堺浦さかいのうら帰朝きちょうし給ふ鷁舟みふね着岸ちゃくがんしける所を、舳松へのまつといふ。[山海経さんかいきょう]云、崑崙山こんろんさん堂木どうぼくあり。其くらへばおぼれず。又、これにてふねつくるときは、難風なんふうくつがへらず、海底かいていしづまずとぞ聞へし。

和泉いずみの国号こくごうのはじまり

和泉國いづみのくには、もと河内國かはちのくに茅渟海ちぬのうみのほとり郡内ぐんないなり。神功じんぐう皇后くはうぐう新羅しらぎせいたまとし地中ちちう波浪はらうこゑあつて、須臾しゆゆにして飛泉ひせんわきいづこと、丈余也。其ながれ長くして、あぢはひ甘露かんろごとし。かるがゆへに、其地を和泉いづみとなづく。韓國からくにをことごとく退治たいぢ給ふて、皇后くはうぐう御凱陣ごがいぢんあつて、紀伊國きいのくにに至り、御舩みふねよりり給ひ、此清水しみづ賞嘆しやうたんし給ふ。いま和泉郡いづみのこほり國府こふ清水しみづこれ也。ときひとみないはく德澤とくたく上にあきらかにして、天下清平せいへいなれば、霊泉れいせん湧出ゆしゆつするとぞ申ける。[續日本紀]曰、元正げんしやう天皇霊亀れいき二年四月、河内國かはちのくに大鳥おほとり和泉いづみ日根ひね、三ぐんわけて、あらため和泉國いづみのくにといふ。[延喜式]曰、本國ほんこく管郡くはんぐん三ッ、大鳥おほとり和泉いづみ日根ひねといふ。[和名類聚鈔]曰、和泉郡いづみのこほりわけ泉南郡せんなんこほりおくいま四郡しぐんなるその疆域きよういくは、ひがし河州かしうさかいに至り、西にし海浜かいひんに至り、みなみ紀州きしうさかいに至り、きた攝州せつしうさかいに至ッて、南北十里、東西五里ばかり也。

茅渟ちぬわけ
茅渟ちぬ和泉國いづみのくに惣名そうみやうなり。[日本紀]曰、神武じんむ天皇東征とうせいしたまふ膽駒山いこまやまこえ中洲ちうしゆういらんとし給ふに、長髄彦ながすねひこふせたゝかふ。官軍くはんぐんあらずして、さらに、うみしたがふ舟行しうぎやうし給ふ。みんなみの方、山城やまき水門みとに至る。皇弟くはうてい五瀬命いつせのみこと矢瘡やきずいたみはなはだなり。みづついあらふ。血沼ちぬこゝよつおこるなり。茅渟ちぬの名、陸地りくぢにては和泉國にかぎるなり。茅渟ちぬ屯倉みつきの事、[同書]安閑あんかん天皇のまきに見へたり。茅渟海ちぬのうみ茅渟浦ちぬのうらなとの海に到ッては、摂泉せつせん両國にわたれり。[万葉まんよう]及び[八雲やくも御抄みせう]等、多くは攝津國のに出たり。和歌わかによつてさとすべし。
[万 葉]
  ちぬの海の浜辺の小松ねふかめて我こひわたる人の子ゆへに           人麿
[名 寄]
  ちぬの海の浜辺の小松汐こしてなみの音にそ秋風そふく             読人しらす

さかいの
堺津さかいのつせつせんしうさかい也。いにしへ鹽穴郷しおあなのごう土師郷はじのごう下条かでう村邑そんゆうあるところなり。明徳めいとく年中には、山氏清うぢきよここにしろきづきて、泉府せんふとなづく。氏清うぢきよ敗滅はいめつのち周防國すはうのくに大内おほち義弘よしひろ守護職しゆごしよくかね、応永六年、義弘よしひろ戦死せんしす。それより、ほそ滿元みつもと守護しゆごし、享禄かうろく年中、家臣かしん三好みよし長慶ちやうけい旗下きか十河そがう存保まさやすを以てまもらし、南海なんかい四國しこく要衝ようしようとす。永禄ゑいろくはじめ根来寺こんらいじ僧徒そうと國中こくちう劫略けうりやくす。天正五年、織田おだ信長のぶなが陣営ぢんゑい南荘みなみのしやうたてて、松井まつい友閑ゆうかんをして国務こくむつかさとらしむ。同十三年、豊臣とよとみ太閤たいかう秀吉公ひでよしこう根来寺ねごろてらうつその巣穴さうけつやき國害こくがいはらふて、ゑい北荘きたのしやううつし、小西こにし摂津守せつつのかみ行長ゆきながを以て、泉州せんしう一國の政事せいじつかさどらしむ。これを政所まんどころがうす。今に至ッて刺吏しし参勤さんきんありて、千歳せんさい不易ふゑきル。

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作成:2014年 8月10日 13:30:58 再構築
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