カレンダー
前月2017年 9月翌月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
News News  
Photos Photos  
Blog Blog  
アクセスカウンタ
今日 : 257
昨日 : 3771
今週 : 18203
今月 : 135359
総計 : 1732110
名所図会 巻1-24 少林寺

少林寺せうりんじ

少林寺町の東、樽屋町にあり。禅宗。紫野大德寺黄梅院に属す。

本尊阿弥陀佛
座像。壱尺余。

開基桃源たうげん和尚
元德年中の建立也。いにしへは兆域てういく廣し。今の寺地町、少林寺町、みな境内なり。中頃、やうやくすいに及ぶといへども、当两町の地子を当寺に収む。台命たいめいによつて、堺町中の地子免除せらるゝの時、当寺領もこれを免す。初、小林氏といふもの、檀越だんをつとして創建ゆへ、小林せうりんと書しを、だるだい少林せうりんひやうして、せうの字に改む。

通心霊祠つうしんれいし


玄中げんちう]には、百歳はくさいきつねぢよとなると見へたれど、これは白藏はくざうして、おい猟人かりうどけうす。其きやうげんをするには、さかい少林せうりん通信つうしんべうたけきりて、つゑとする事をならひとすとぞきこへし。
祭神さいしん、稲荷大明神。俗に、釣狐つりきつねの社といふ。永德年中に、耕雲庵かううんあんといふ当寺の塔頭たつちうあり。其住侶を白藏はくざうといへり。この僧、稲荷大明神を常に信仰しんかうして、毎日ほつおこたらず。或時、明神感應かんをうあつて、竹林ちくりんより三そくびやくしゆつげんせり。即、いだきかへりて養愛やうあいす。此きつねれいあつて、ずいようたつし、又、盗難とうなんさくる事あり。伯藏はくざうをいに、りやうこのむあり。かの白狐、此ものおそれ、伯藏はくざうかたちばけて、其をいの家に行、せつしやうつみをさまさまかたり、いましめけるに、此おのこさときものにて、狐の僧にばけたる事をしり、ひそかに道に出て、其てだてをつくし、りやうしけると也。これを、狂言師大藏おほくらといふ者、工夫をめぐらし、かんの所作を狂言に作り、つりきつね、又はこんくはんとも名づけたり。かのきつね大藏おほくらがこゝろをこめしをかんじ、又、老僧とし、かん骨髄こつずいはたらきをしへしとなり。それより、此狂言を初をこなふ時は、此寺に来ッて、このびやくすみ竹林ちくりんさゝきつつゑとなす事、此狂言のじつなる。享保十八年、けいよしより通心つうしん霊社れいしや神号しんがうあたへられしなり。

今の少林寺

 萬年山少林寺は、元徳二年(1330)桃源宗悟の開山で、寺号は大檀越小林修理亮法の姓をとり小林寺としましたが、のちに菩提達磨の少林寺にならって少の字に改めました。当時、寺の境域は、今の寺地町・少林寺町を合せた両町の海浜にまで達していましたが、寺地の多くを織田信長に没収され次第に衰退しました。その後、豊臣秀吉が、石田三成・小西行長に命じて境内竹木の伐採を禁止したとありますから当時なお名刹であったことを伺いしることができます。本尊は釈迦牟尼仏、鎮守白蔵主稲荷明神、明治三十九年(1906)に禅通寺を合併、その鎮守今池弁財天をまつります。大徳寺派黄梅院末に属します。
 永徳元年(1381)塔頭耕雲庵の住持白蔵主が、鎮守稲荷明神に参籠して霊狐を得、狂言大蔵流の始祖霊狐の所作を狂言に作り、釣狐として上演されました。以後狂言歌舞伎関係者は釣狐上演の際は当寺に参詣し技芸の上達上演の成功を祈願し寺内の逆芽竹を1本祈祷してもらい持ち帰り、上演の時の杖に使用する慣習になっています。
【出典:堺市設置案内板】


少林寺山門


境内庭園


通信霊祠

白藏主大明神

更新履歴
更新:2014年10月20日 21:06:48 今の少林寺を追記
作成:2014年 8月16日 13:05:59 再構築
プリンタ用画面
友達に伝える
前
名所図会 巻1-23/鹽穴寺
カテゴリートップ
TOP
次
名所図会 巻1-25/引接寺