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名所図会 巻1-25 引接寺

引接寺いんぜうじ

少林寺の北に隣る。時宗。勅定山と号す。華洛四条道場金蓮寺に属す。

本尊阿弥陀佛
座像。みたけ、壱尺。

開基かいき智演ちゑん上人
貞和ぢやうわ三年の草創さうさう也。智演ちゑんは、もと信州しんしうの人、せいみなもとうぢ牧野まきの也。八さいにして、鎌倉かまくら極楽寺良観りやうくはん律師りつし隨身ずいしんして、薙髪ちはつ俊澄しゆんちようと号す。十五にして叡山ゑいざんに登り、台家たいか奥旨おくしきはめ、和州石寺いしてらけいして、弥勒みろくぶつ瑞示ずいじかうむり、もはら、念佛の行者と成ッて、当津の高野かうや堂に住す。こゝに、三宅みやけ十五郎といふものあり。いゑ元来もとより冨有ふゆうなり。其ちゝ沈病ちんびやうかゝつて、まさしせんとす。十五郎悲嘆ひたんたへず、七日断食だんじき潔齊けつさいして、これを住吉の神祠しんしいのる。其時、明神夢中むちうに託して、のたまはく、堺の海濱かいひん無量壽むりやうじゆ佛あり。此ざうたづねもとめて、よろしく精舎しやうじやに安置すべし。十五郎、即、かの像を海辺に得て家に帰り、父母にこれをはいなさしむ。ちゝやまひたちまち平癒へいゆすれば、こゝに精舎をたて俊澄しゆんちようしやうして入佛供養くやうの導師とす事、既に叡聞ゑいぶんたつし、光明帝みことのりして勅定山ちよくぢやうさんがうし、引接寺いんせうじなづく。又、俊澄を智演ちゑん上人と改む。古へは、寺地じち廣大くはうだいなり。もとは、住吉の社領しやりやうの内にして、社務しやむ光禄くはうろく太夫國夏くになつ朝臣あそん、應永八年寄附きふし証文、今にあり。旧地は今の宿院のところ也。きち二年十一月、将軍義勝よしかつ公、封田ほうでん若干そこばく寄附きふ、証文あり。又、文明二年九月、義政よしまさ公寺地安堵あんどの証印一通あり。

今の引接寺

引接寺は、明治六年に廃寺となりその姿を伺いしることはできませんが、寺のあった場所(少林寺小学校のフェンス囲い側)に案内板が設置されているだけとなっています。

引接寺 堺市設置案内板



案内板拡大写真

更新履歴
更新:2014年10月20日 21:23:18 今の引接寺を追記
作成:2014年 8月16日 22:14:18 再構築
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