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名所図会 巻1-29 旭蓮社

きよくれんじや


きよくれんじや

寺地町東にあり。浄土宗。中華もろこしさんの一ほん鎮西ちんせいりうなり。かんさんだい阿弥陀あみだきようと号す。

本尊じやうぼん阿弥陀あみだぶつ
開山かいさん澄圓上人の作。長、丈六。

祖師そしだう
ちようゑん上人の像を安置す。

ゑんくはうだい旧跡きうせき廿五かしよ
旧跡をこゝに移しける也。本堂の西にあり。

玄恕げんじよ上人べう
当山十九世の寺職也。祖師堂の北にあり。

佛還ぶつげん上人塚
蓮池の傍にあり。

しやもんだう
長、八寸。弘法大師の作。

ばい
池の傍にあり。玄恕上人のあいじゆ也。

れん
本堂の前にあり。此池中にかはづ多くすめども、かつ鳴事なくことなし。

舳松神廟へのまつしんべう
当寺の鎮守也。神功皇后異國より帰朝の御時、軍舩九艘のさき向ふ所を、そう小路といひ 寺の北門前町をいふ、又、九本の松につなぎしより、九本松町、あるひは舳松へのまつともぶ。後世こうせい、こゝに社を営て、九本松明神とあがめ奉る也。

そもそも開山かいさんちようゑん上人は、何國いづくの人といふ事を知らず。じん当國たうこく家原いゑばら文殊もんじゆさつげんなりと申ける。初台宗たいしうに入奥旨あふしきはめ、中頃、諸宗しよしうわたり、ゑき海藏院かいざうゐんくはんふ。つひに、花園帝はなぞのていぶん元年四月、大元國だいげんこくに入ッて、六年のあひだかの國々くにぐにじゆんれきして、のちさん東林とうりんいたり、どんぜんゑつして、西天さいてんぶつちよう三藏さんざうてきでんおんたい念佛三昧ねんぶつざんまい真訣しんけつめんじゆし、佛像ぶつざうきやうしよとうたく給ひ、かつは、信印しんゐんためとて、三藏さんざうしやうらいぶつしや遠公をんこうしよれんろうならびに、はつさん統継とうけいぐはとうたまはりぬ、又、だいさん攀登よじのぼり、文殊もんじゆべつかうむり、すべて二十七州を巡行じゆんぎやうし、参究さんきうこう滿みつて、だいてい元亨げんこう元年にてうし、たうほうをもむき奏達そうたつし給へば、叡感ゑいかんなゝめならず。本邦ほんほうさんうつすべき事をちよくきよなし給ひ、宸翰しんかんさんがくたまはり、正中元年、泉州せんしう大鳥おほとりさかいはまに、きよくれんじや草創さうさうし侍る。本朝ほんてう蓮社れんじや始祖しそ也。光明くはうみやうてい延元ゑいげん二年に、弐千六百貫のぜいたまふ。康永かうゑい元年、天下大にゑきす。みかど人民にんみんあはれみ給ひて、ちようゑんみことのりくだし給へば、すなはち圓頓ゑんとんさつかいしゆす。たちまちゑきびやうやんで、民間みんかんゑつまゆひらく。其時、圓頓ゑんとんじやうかいろんちようゑんさつりんたまふ。其後、南朝なんてう村上むらかみてい宮中きうちうちようゑんをめして蓮教れんげうかうぜしめ、かいとなし、ゑんとんさつかいひんじようし、叡信ゑいしんなゝめならずして、紫衣しゑ、并にだい阿弥陀あみだきやう宸翰しんかんたまはる。しかふしてのちしゆくはうていぢやう元年、じようけうを以てせうじやういゝなせる編書へんしよおこなはる。於是こゝにをいて、[しようふうろん]十くはんじゆつさくして、大にじやうけう頓大とんたいむねあらはす。開山かいさんとく日々ひゞあらたなりしかば、門末もんまつつういらかをならべ、だいらん殿堂でんだうもん三十八塔頭たつちう僧坊そうばう三十しやに及べり。つひに、鎮西流ちんぜいりう白旗しらはたしやうとう法孫はうそんじゆし、應安をうあん五年七月廿七日、上人、忽焉こつゑんとして見へず。もん其行方そのゆきかたらず。いまそのしるしてじやくにちとす。きん玄恕げんじよ上人、ないに一たてて、ゑいしゆんゐんと号し、常行じやうぎやう念佛ねんぶつをこたらず。

しほ風呂ふろ
きよくれんしやりやう也。大町の西にあり。中頃、当所八万はちまんぐはんめうとくといふもの、こゝを持来もちきたりしが、しやもんてんしんじ、れいによつて当寺に寄附きふす。相傅あいつたふ、むかし、ぎやうさつ、井をほつて、手づからやく石像せきざうきざみて、こゝに安置す。諸人これによくする時は、しゆびやうのぞく也。故に、となくせんとなく、此浴室に入る事、今にたへず。

潮水しほの
浴室の前にあり。海辺かいへんより六七町へだつれども、ちう滿みちあり。攝州せつしうあり温泉おんせんと一さうなりといふ。

[守覺法親王集]云、
 和泉國新家といふ所にてしほゆあみしけるに、源中納言雅頼のもとよりかくなん
  かきりあれは身こそ数にもいらさらめ心の行をいとはさらなん           雅  頼
   かへし
  ことのはのたよりの風にちる時はかよふ心も色にみへける             守覺法親王
   しほゆあみはてゝ 都へ帰るとてよめる。
  日数へしひなのすまひを思ひ出はこひしかるへき旅の空かな             同
むかし、此辺は新家村也。後世、新在家町とす。今、四五町南にあり。此塩風呂に就て、足利将軍家已来、浴室の条目を賜ッて、諸役免除なり。一歳、太閤秀吉公、こゝに浴し給ひて、疾病不日に平癒し給ふ。於是、刺史石田隠岐守政成に仰て制状を賜ふ。其文に曰、
 當寺境内寄宿并塩風呂諸役之事
  メ免除 ヌ カ違背 ノ
  文禄二年後九月十七日   秀吉御判

今の旭蓮社


旭蓮社南門


旭蓮社境内


本堂


本堂扁額「旭蓮社」

毘沙門堂 毘沙門堂

宝篋印塔 堺市設置案内板

今の舳松神廟


現開口神社境内神社 舳松神社

舳松神社の舊址

寺の北門前は謂はゆる九舳小路にして、九本松町或は舳松とも呼び、門内は、村社 舳松神社のありし所なり。社は一に九本松とも呼び、勸請の年月等は詳ならざれども、社名は地名に因みしものなるべし。境内は壹百餘坪を有し七社神社及び、高津神社といへる末社を存し、七社神社はもと寺の鎮守にして、高津神社は傳へて大仙陵の遥拝殿といひしが、社は明治四十年五月二十一日開口神社境内末社に合祀さられて今はなし。
【出典:大阪府全志】

更新履歴
更新:2014年10月21日 18:58:08 今の旭蓮社を追記
作成:2014年 8月17日 14:41:49 再構築
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