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名所図会 巻1-42 天神社

天神社てんじんのやしろ


さかい天神社

戎町の東にあり。威德山ゐとくさん常樂寺じやうらくじと号す。天台宗。宗祖傅教大師。
聖廟せいべう御神容ごしんようは、かん丞相せうじやう筑紫つくし大宰府だざいふ謫遷たくせんおはしますのとき、みづから神影しんゑい彫刻ちやうこくし給ふ、七天神なゝてんじんの真いちなり。延喜ゑんぎ年中、当津たうつ海濱かいひんよりあがらせ給ふ。すなはち民間みんかん霊祠れいしいとなみて、庶民しよみん渇仰かつがうするところ
でう御宇ぎよう長德ちやうとく二年丙申ひのへさる正月十八日、とらの一天に奇瑞きずいあつて、寶殿ほうでんおのづからひらけて、神躰しんたい飛行ひぎやうし、當社紅梅こうばい樹頭じゆとうとゞまり給ふ。貴賤きせん群集くんしうして、竒特きどくおもひをなす。それより、當寺に鎮座ちんざし奉り、神殿しんでん巍々ぎぎとして、利生りしやう霊験れいげんあらたなる所、一歳ひとゝせ兵燹ひやうせんかゝつ烏有うゆうとならせ給へば、神影しんゑい民家みんかにわたらせ給ふ。明暦みんれき三年、北莊きたのしやう産子うぶことして造建ざうこんありて、いにしへの如く御鎮坐ごちんざし奉る也。
ある日、當社たうしやは、むかし、塩穴郷しはなのがうみなと村にあり。かるがゆへに、塩穴しはな天神と穪ず。中古ちうこ北莊きたのしやういまの所に勧請くわんじやうす。文明二年、[菅原為長卿記すがはらためながきようのきいはく和泉國いづみのくに毛須もづ深井ふかい草部くさべ土師はじ向井むかい塩穴しはな高石たかしは、菅家すがはら祖神そしん天穂日命あまのほのひのみこと已来いらい舊領きうりやう也。為長卿真蹟、いま菅家かんけ五條殿ごでうどのあり。塩穴しはな天神宮は、すなはち天穂日命あまのほのひのみこと神廟しんべうに、後世こうせい菅神かんじんあはせ奉り、こゝに御鎮座ごちんざなし奉るものならん常樂寺じやうらくじは、古、攝州朴津郷ゑなつのがうにあり。

本社ほんしや天滿宮てんまんぐう
相殿、春日大明神、十一面観世音 当宮の本地佛也。

拜殿はいでん
神樂所、片間にあり。

連歌所れんがしよ
毎月廿五日興行す。

影向梅やうがうのむめ
本社のいぬゐにあり。紅梅なり。

鳥居とりゐ
本社の前にあり。額、天滿宮。

伊勢两宮
本社の東にあり。

白太夫しろたゆふの
本社の前にあり。

末社まつしや
荒神祠、梵天王ぼんてんわう社、多賀社、蛭児ひるこ社、大黒天、春日社、熊野権現、祗園社、弁財天社、舟玉社、八幡社、稲荷社、愛宕社、金毘羅社。

金銅かな燈爐とうろ
二王門の前にあり。

坊舎ぼうしや
六坊。西座六坊。

金堂こんだう
中尊阿弥陀佛。左、大日。右、釋迦。

護摩堂ごまだう
不動尊、観世音、藥師如来、元三大師を安す。

鐘樓しゆろう
本堂の前にあり。

二王門
をもてに二天、うち門神かどのかみ。額、威徳山。榎並正氏の建立。

和泉いづみ式部しきぶのたう
本社の巽にあり。由縁詳ならず。

今の天神社 菅原神社


随身門前鳥居 扁額「天満宮」


拝殿


本殿


随身門


境内側から見た随身門

菅原神社ご由緒
 菅原神社は、長徳三年(997)の創建以来千年以上にわたって、菅原道真公をお祀りしております。また境内では戎神社と薬祖神社もお祀りしています。
 神社は私たちの暮らしとかけ離れた場所と思われがちですが、日本には八百万神(やおよろずのかみ)と申しまして多くの神様がおられます。太陽神として森羅万象すべてを治められる天照大神、当社でお祀りしている学問の神・道真公、商売繁盛の神・戎様、農耕や健康をつかさどる神農様など、私たちの人生儀礼や日々の生活と深く結びついている、身近な存在です。
 神社では、年に二度「大祓(おおはらえ)」という祭事を行います。半年間の罪、穢れをお祓いして、次の半年間の安泰を祈願するためのものです。同じように、皆様が神社にお越しになり、手と口を清め、神様の前で静かに拝礼をして拍手を打ちますと、心の内、体の中が清々しくなり、新しい風を感じられると思います。
 おひとりおひとりの心のオアシスとして、どうぞお気軽にお参りください。
ご祭神 菅原神社の御三神

菅原すがわらの道真みちざねこう  天満天神、学問の神、文化の神
幼時より神童と称され、宇多天皇の厚いご信任のもと、遣唐使を廃止するなど政治の中心でも活躍し、昌泰二年(899)には右大臣に任命されます。しかし、左大臣の藤原時平らによって大宰府へ左遷され、失意のうちに亡くなります。逆境の中でも国家のご安泰と天皇様のご平安を念じられた道真公は、神の御位に昇られました。学問に秀でていたことから学問の神、文化の神として長く人々の信仰を集めています。

あめの穂日ほひのみこと  農業、養蚕、木綿の神様
天照大神の第二子。出雲一族の記録「出雲いずもの国造くにのみやつこの神賀詞かむよごと」には、母・天照大神から「地上の統治者、大国主命を説得して国を平定するように」と命を受け、見事に平定されたと記されています。しかし、「日本書紀」には、大国主命に心酔して、そばに住み着き三年間連絡を怠ったという記述も残っています。豪族の祖神は、その地の国土開発や産業振興の守護神として信仰され、農業、養蚕、木綿の神として祀られています。

野見のみの宿祢すくね  相撲の神様
 垂仁天皇の時代に当麻たいまの蹶速けはやという強力で鳴らした者がいました。天皇が出雲の国の野見宿祢という勇者を探し、勝負させたところ野見宿祢が勝利。以来、相撲の祖と呼ばれるようになりました。
 野見宿祢は、殉死する慣習に異議を唱え、殉死に代えて埴輪を副葬することを進言します。これより天皇から土師部はじべ(=陵墓の造営や埴輪の製作に従事する人々)を統率する土師氏の姓を与えられました。菅原道真公も土師氏に連なる方です。

ご由緒  堺の町の天神様
長徳三年(997)創建
 今から千年以上前、摂津の国北の庄、海船の濱に一体の木像が流れ着きました。これは、菅原道真公が配流された大宰府の地で自ら作られ、海へ放された七天神のうちのひとつと伝えられています。
 ご神体はしばらく付近の住民によって、大切に祀られていましたが、摂津の国北の庄の氏神であった、天台宗てんだいしゅう威徳山いとくさん常楽寺じょうらくじの僧徒がご神体を同寺に遷し、長徳三年(997)に天神社を創建したことが菅原神社の始まりです。この時に常楽寺でお祀りしていた春日明神と山王権現も共に祀られました。
 道真公が大宰府で亡くなられてから九十年以上後のことで、都では藤原氏一族の摂関政治が続き、中でも三人の娘を天皇に嫁がせて青磁の実権を握る藤原道長の全盛時代が訪れようとしていました。
 (注)今の大阪府と兵庫県にあたる摂津の国は、古から大和、山城、河内、和泉とともに、畿内五カ国のひとつです。堺の名前は、摂津、河内、和泉の境になっていることに由来すると言われています。堺の中世初期には、北の庄(摂津)、南の庄(和泉)、の二つに分かれていました。

中世から近世へ
 時代は、応仁の乱から戦国時代へ。貴族社会から武士社会へと国の仕組みが大きく変化する中で、天神社は厚い道真公振興に支えられていました。
 しかし、天文元年(1532)十二月十四日、夜半に北の庄から出た火は、折からの季節風にあおられて、天神社を含む北の庄のほぼ全域にあたる四千軒を焼きつくしました。
 それから約四十年、天正二年(1574)当時の神社の配置図を見ると、本社、拝殿、大梵天堂、金堂、観音堂、薬師堂、護摩堂、御影堂、食堂、経堂、連歌所、塔、鐘楼、仁王門及び南北の門が描かれており、再建後、敷地と規模を拡大させていたことがうかがえます。
 また本社、拝殿、大梵天堂、観音堂などの名称から、神道と仏教の建物が共存していたことが示されています。
 ここに記されている連歌所とは、ご祭神に奉納する法楽連歌を詠む建物です。中世から近世にかけて、学問、詩歌、芸能の神、道真公にちなんで、各地の天満宮や天神社では連歌の会が盛んに開かれており、菅原神社でも法楽連歌の会が行われていました。
 平穏な時代は終わり、慶長十九年(1614)に豊臣方と徳川方との間に大阪冬の陣、翌年には夏の陣が勃発します。その直前、豊臣方の武将、大野おおの道犬どうけんは、堺が徳川方の基地になるのを恐れて堺の町に火を放ち、菅原神社もまた焼失してしまいます。
 しかし、承応元年の菅神七百五十年祭を機に再建に努め、翌年、新殿が完成、ご神体をお遷ししました。
「元禄二年堺大絵図」には堺の町全体が詳細に描かれています。当時は「北の天神、南の開口」と呼ばれ、境の町を東西に貫く大小路通の北を天神社が、南を開口神社がそれそれ氏神として祀られていました。
 ところで、時の為政者と菅原神社の関係について、豊臣秀吉は、免税などを保障する二百二十石のご朱印を寄せ、徳川幕府もこれを引き継いだと伝えられています。

天神社から菅原神社へ
 明治維新は、国政をはじめ、さまざまな分野に大きな変化をもたらしました。そのひとつが神道と仏教を分離する「神仏分離」政策でした。徳川幕府が行ってきた、神仏まざり合った宗教制度を一新して、新政府による神道国家を確立するために、神道と仏教を明確に分離する方針を示しました。
 これにより明治五年(1872)、天神社は大梵天社など仏教関係を廃絶。明治という大きな時代への転換を機に、天神社を菅原神社と名称を改めて、新しい歴史を紡ぐことになりました。
 そして近隣の神社を整備し、管理体制を整えるため、明治四十年(1907)は、宿屋町の薬祖神社、翌年には、宿屋町の事代主神社、神明町の神明神社、泉北郡の附島神社、熊野町の熊野神社を境内に遷してお祀りし、戎之町の事代主神社を菅原神社の飛地境内地である戎島の恵比寿神社に遷してお祀りしました。

戦後、そして新世紀へ
 戦争の世紀と呼ばれた二十世紀。なかでも第二次世界大戦は日本に大きな惨禍をもたらしました。戦争が激しさを増した昭和二十年(1945)、堺もこの年だけで五回の空襲を受けましたが、なかでも一月十日の大空襲では死者一八六〇人、被災者数七万人という甚大な被害を受けました。菅原神社も戦災により、随身門と金毘羅宮をのこして建物や宝物が完全に焼失しました。
 しかし戦後復興の精神のよりどころとして再建の声が高く、それを受けて昭和二十六年(1951)一月に菅原神社と戎神社、昭和三十年八月に薬祖神社、の三社が再建されました。幸いに焼失を逃れた金毘羅宮は、菅原神社の拝殿の一部として使われています。
 また、同じく焼失を逃れた随身門は修復保存され、昭和四十一年(1966)一月二十五日に大阪府の有形文化財指定の栄誉を受けています。この随身門には、堺の武将小西行長が朝鮮から持ち帰って奉納した傘松の大木の幹が保存されています。
 そして新世紀。天文元年(1615)の大阪夏の陣、第二次世界大戦など幾多の焼失を乗り越えた今、菅原神社では往時の再現をめざして復興事業が進められており、そのスタートとして、平成十三年(2001)に稲荷神社が再建されました。

摂社を訪ねて  えべっさんと神農さん

堺戎神社
ご祭神
事代主命ことしろぬしのみこと  豊漁、商売繁盛、田の神様
大国主命の子どもで、七福神の一人、釣竿に鯛を抱えた戎様と言われている。招福の神、産業の守護神とされている。
 南大阪随一の「えべっさん」として親しまれ、堺戎神社に祀られています。寛文四年(1664)、現在の戎島町付近に突然島が出現。同六年(1666)、この戎島の海中から、石像が発見され、威徳山天神常楽寺の塔中であった観月院頼弁法印がこれをお祀りし、戎島の近くに宮祠を造りました。その後、戎之町の事代主神社と合併し、昭和二十六年(1951)、菅原神社の境内に遷りました。

堺薬祖神社
ご祭神
少彦名命すくなひこなのみこと  医業、酒造の神様
童話「一寸法師」のもでると言われ、「日本書紀」では、医業、呪などを発展させたと伝えられる。
神農大神しんのうおおかみ  古代中国の伝説上の薬祖神
古代中国の伝説上の王で、民に初めて農耕を教えたので、神農民と呼ばれ、医薬の基礎を作ったことから薬祖神として崇められている。
 応永四年(1397)、足利義満が帰国した遣明船から神農の神像を献上されました。これが薬祖(神農)神社の始まりです。
 明治四十年(1907)菅原神社に合祀されましたが、第二次世界大戦の空襲により焼失。昭和三十年(1955)、神明造りの本殿と拝殿を造営し、日本最古の薬祖神社として今日に至っています。近年は、癌封じの神様として知られています。
【出典:菅原神社パンフレット「菅原神社へようこそ」抜粋】

神牛 神牛

堺薬祖神社 稲荷神社

椿の井戸

武野紹鷗が愛用したと伝えられる椿の井戸。

紅梅軒

慶安年間(1648-1651)に建てられた茶室。豊臣秀吉から贈られた八重咲きの摩耶紅梅にちなんで命名された。
ちなみに、菅原神社の社紋も「梅鉢」である。

白檀

日宗貿易の頃、中国より移植されたと伝えられる木です。昭和二十年(1945)の空襲で焼失しましたが、その枯木はご神木として保存されています。草木の苗床となり、緑に覆われた白檀の大木ですが、枯木となった現在でも生命の力強さが伝わってきます。

常樂殿

菅原神社創建時の威徳山天神常楽寺にちなんで命名された建物で、寄棟屋根の上に切妻屋根を重ねた「しころ造り」の木造建築。

南大門 東大門

えんひょうじんせき

江戸時代末期から明治中期にかけて建てられた石柱で、いわば江戸・明治時代における伝言板。「奇縁冰人石」の名は、仲人を意味する「月下氷人」から名付けられたとされ、縁結びの役目を果たす。

拝殿の瓦 「〇に金」のマーク

現在の本殿、拝殿は第二次世界大戦の空襲で焼失し、その後再建されました。その時、拝殿は焼失を逃れた金毘羅宮を移築して建てられたもので、瓦にそのことを示す「〇に金」のマークが刻まれています。

随身ずいしん(門守かどもりの神) 随身ずいしん(門守かどもりの神)

浜寺公園千両松幹 小西行長の手植 傘松の幹

随身門表側虹梁彫物 牡丹に唐獅子 随身門内側虹梁彫物 龍(青龍?)

更新履歴
更新:2014年10月26日 10:40:48 今の天神社 菅原神社を追記
作成:2014年 8月18日 10:45:48 再構築
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