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名所図会 巻1-13-02 方違宮縁起

方違宮縁起
「方違宮縁起」は、一巻の巻子本で、幅三〇.八センチ、長さ四二八.八センチあります。最初に神功皇后の方忌災除の図が極彩色で描かれ(九五.三センチ)、つづいて縁起の本文があり(一九四.七センチ)、次に火焚神事の図があり(九五センチ)、その後に奥書があります(四三.八センチ)。

「方違宮縁起」巻首(堺市博物館収蔵)
交野かたの左兵衛さひょうえの権佐ごんのすけ惟粛これすみ朝臣あそん、享保14年(1729)から翌年にかけて、25歳のときに、当社の伝説に基いて、神功皇后が方違のまつりを執行されているのを描いたもの。
解読文
語注
攝津せつつの国住吉すみよしこほりおほさみの川辺にいま方違かたたがへおほさみ神社かむつやしろしづめ祭らる神くら
住吉の郡?今の大阪市住吉区。中世以前は方違神社のあたりも住吉郡であった。
    あまよろづたまの神
八十天万魂の神?他にはみえない神名。
    かむはやすさの神
神速進男の神?須佐之男の命
    みつのつつのの神
三筒男の神?底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命。住吉大社の祭神でもある。
    おきながたらし日孁ひめみこと
気長足日孁の命?神功皇后
いりひこ五十天皇すめらみこと、都を磯城しき瑞籬みづがきの宮にうつしたまひてのちに、くぬえのやまひ多くして、おほみたから死亡まかれるひと有り。百姓おほみたから流離さすらへぬ。あるいは背叛そむくもの有り。其のいきほひうつくしびをさめむことかたし。ここを以て、つちゆふべまでにおそりて、神祇あまつかみくにつかみ請罪のみまつる。
御間城入彦・・・・・・?崇神天皇(第十代)。
磯城の瑞籬の宮?今の奈良県桜井市にあった宮
国内に・・・・・・?以下原文三十六字分「崇神紀」五年・六年条とほぼ同文。
晨に・・・・・・?つとめ励むさま。は懼れる意。
天皇すめらみこと、七年かのえとらの秋づき、神のをしへを得て、大物主おほものぬし大神おほかみたちを祭りたまふ。おなじき八月かのと十二月しはすひのえさるついたちきのとに、大物主の大神とやまと大国魂おほくにたまの神とをいはひまつらしむ。おなじき月のきのえに、天皇、みことのりして物部もののべおほ母呂もろすみすく茅渟ちぬいしはらつかはして、はや須佐能男すさのをの神をいはひまつらしめたまふ。きみおもぶけ遂にかぶふりて遠荒とほきくにに及べり。
大物主の大神?大和の大三輪の祭神であるが、大国主神の和魂とそれる。
乙卯?「崇神紀」には、大田田根子に大三輪の神を祭らせた記事と歌謡がある。
甲子?この記事、他にみえない。
物部の大母呂隅の足尼?「崇神紀」六十年に「矢田部造の遠祖武諸隅」の名で出る。一名を大母隅とある。
王化・・・・・・?四道将軍の派遣の条に類句あり。
豊浦とゆらの宮の皇后きさき おきながたらし日孁ひめみこと三韓みつのからくにを討ちて還りますや、ふないくさ務古むこ水門みなとちて茅渟ちぬ大津おおつむかふ。忍熊おしくまみこ以下よりしも賊兵あた住吉すみのえの陣営をてて山背やましろ菟道うぢ遁走ぐ。皇后きさき三筒男みつのつつのを之神をたてまつりて僉議はからせたまひ、みづかいつきぬしと為りて、橿原かしはらの天皇の故事ふることりて、うねやま埴土はにつちを取りて、八十やそ平瓮ひらか天手抉あめのたくじり八十枚やそちて、八十やそ天神あまつかみ地祇くにつかみを祭り、進男之神すつのをのかみの地においまさしくすめらいくさ方忌かたいみ災除の事をいのりたまふ。すなはち皇后みなみのかた紀伊の国をめぐりまして、皇太子ひつぎのみこ及建内またたけしうち宿祢すくねひ、相謀はかりて忍熊おしくま王等みこたち威伏ほろぼしたまひ、余兵のこりのあたまたことむけまたへり。其の天神あまつかみ地祇くにつかみしづめ祭りたまへるところに、豊明とよあきらの宮の朝廷みかど進男すさのをの神・三筒男の神・ははきさきの神をあはせ祭り、みことのりして方違かたたがへおほさみ神社かむつやしろなづけたまふ。又、渟中ぬなくらながす三筒男のにきみたまやしろこれをば住吉すみよし神社かむつやしろひ、与共ともおのもおのも詔してかむかむところさだめたまへり。
豊浦?今の山口県豊浦郡。仲哀天皇の宮。
舟師?水軍。
務古の水門?今の兵庫県尼崎市の港。
忍熊の王?仲哀天皇皇子。大中姫の子。
住吉?今の大阪市。神戸市説もある。
僉議?武将に相談をさせる。
斎主?祭主に同じ。
橿原天皇?神武天皇。
八十平瓮?八十枚の平らな土器。
天手抉?丸めた土を手で抉って作った器。
進男之神の地?前出、須佐能男の神を祭った石津原の地。
皇太子?のちの応神天皇。当時はまだ立太子はすんでゐない。
相謀?「神功紀」摂政元年三月条に欺いて忍熊王を殺した話が載ってゐる。
豊明の宮?奈良県橿原市大軽町付近。応神天皇の宮居があった。
渟中倉の・・・?長峡は細い地形の意か。大阪市住吉区の今の住吉大社の地とする説が有力である。
神戸?租税を神社に納める民戸。
たかの宮の朝廷みかどの六十七年冬十月かむなづきかのえさるついたちきのえさるのひに、天皇すめらみこと遊猟かりしたまひ、此の野にいでましてみづか陵地みささぎのところさだめたまふ。ひのととりの日に始めてみささぎく。の日に、鹿有りて、たちまちに野の中よりおこりて、走りてたみの中に入りてたおれ死ぬ。時に其のにはかに死ぬることをあやしびて、其のきずもとむ。即ち百舌鳥もず、耳よりでて飛び去りぬ。りて其の耳の中をるに、ことごとくげり。かれ、其のところなづけて、百舌鳥もずの耳原みみはらふ。
高津の宮?今の大阪城址の辺りらしい。仁徳天皇の宮居があった。この条の記事は「仁徳紀」とほぼ同文。庚申は庚辰の誤。
役民?公役にあてられて従事する民。役は人民の賦課の一つで、調が物品を納めるのに対し、役は労力を以てする。
とよあきらたかわかざくら柴垣しばがきなど四朝よつのみかどの天皇、おのもおのもみささぎを其の神域かむところあるいは接連つらなところきたまふ。
稚桜?奈良県桜井市の地。履中天皇の宮。
柴垣?所在未詳。反正天皇の宮。
陵?応神天皇は大坂府南河内郡、仁徳・履中・反正陵は大阪府堺市にある。
おなじきおほさみの川辺の青垣あをがきの内にいま向井むかゐの神社かむつやしろは、あめよろづ豊日とよひの天皇すめらみことごほりの宮に宇宙あめのしたをさめたまひしかのえいぬのとし正月むつきに、せうおつ巨勢こせの朝臣あそんしま麻呂まろ向井むかゐのに一やしろいとなみ、おほざきの天皇・わけの天皇・みづわけの天皇、及、菟道うぢのわか郎子いらつこのみこと百済くだらの王仁わにたち五柱の神をいはひまつる。
天万豊日天皇?孝徳天皇(第三十六代)。
小郡の宮?難波小郡。今の大阪市中央。
庚戌年?六五〇(白雉元)年。
小乙下?大化五年制定の冠十九階の第十八階目。
大鷦鷯天皇?仁徳・履中・反正天皇。
巨勢こせのうぢのかみだいしのかうぶりひだりの大臣おほおみとく太古だこ奏請まをせしためなり。其のやしろたてかふ。かれなづけて楯井あるいはむかゐの神社かむつやしろと云ふ。
大紫冠?冠十九階の第五階目。
左大臣?太古は大化五年四月任命。
      しやう二年つちのとあき九月ながつき十二日
      大和やまとの国の人  ふねのおびと仲岑なかみねつつしみてしるす。

嘉祥二年?八四九年。仁明天皇代。


  (奥  書)
右の方違宮かたたがへのみやは、神功皇后じんぐうこうごう、この地にいつきたまへるなり。わう実録じつろく有りといへども、年代すでに久しうしてしつ少からず。
ゆゑに今ほんりてあらため正すものなり。だいは則ち京極きやうごく二品にほんしききやう家仁いへひと親王しんのう、許されて健筆をらさる。
ぶんは則ちにはたの中納言ちうなごん重孝しげたかきやうぐわは則ち交野かたの兵衛へうゑの権佐ごんのすけ惟粛これすみ朝臣あそんおのおのがうふるはる。まことろくちんたる、孰如いづれぞや。ひとへに後世こうせい疑惑ぎわくしやうずる恐るるが故に、其の顛末てんまつしるすと云ふ。時に、享保きやうほかのえいぬけふしようちうかん藤原ふじわらの資時すけとき、謹んでしよす。


【出典:「方違神社 -研究と史料-」(著者:植垣節也)昭和53年4月発行】

更新履歴
作成:2014年 9月 7日 17:38:12 再構築
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