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名所図会 巻2-15 新大和川

しん大和やまとがは

水源は大和にして、末は大坂御城の北より淀川に入。近年、寶永元年、此川を掘て、田圃の水災をふせぐ。

大和橋やまとはし
堺の北入口にあり。長八十間餘。新大和川にわたす。

今の大和川





大和川の付け替えについて、堺市立南図書館の所蔵図書「和泉のくに今昔物語(著作 堺大仙)」の中に記述されていましたので転載させていただきます。
大和川 -農民の執念見事貫徹-
 河内柏原から西へ流れる大和川は、今から約二百八十年前に、農民たちの血の叫びに応えて、幕府と助役を命じられた藩により、人の力で開かれたのです。河川は、人間の生活に大きな恵みを与えてくれますが、一たび荒れ狂うと想像もつかない災害をもたらします。
 大和川は、大和の初瀬はせの山系に源を発し、大和平野の各河川の水を集めながら西流。亀の瀬の峡谷を抜け、河内柏原の南、船橋村(現藤井寺市)に至ります。ここで、河内富田林方面から北流する石川と合流し、水量を増しつつ北流、弓削ゆげ村で二つに分かれ、主流は久宝寺川、長瀬川などと名を変えて西北へ流れて、寝屋川に合し、大阪城の北地点で淀川へ注いでいます。一方分流は、恩智川、玉串川、吉田川と名を変えて北流し一たん深野池に入り、寝屋川を経て主流と合して最後は淀川へ流れこみます。
 この流域一帯は、網の目のように河川があって文字通り"河内"でした。周期的におとずれる豪雨のため堤防が切れ、その都度、農民は、水から命と土地を守るため死力をつくしました。
 河内の歴史は、正に人と水とのたたかいの歴史であったのです。
 河内郡今米いまごめ村の庄屋をつとめる九兵衛は、水禍の悲惨とそれに起因する農民の生地獄さながらの生活苦を救わんものと近郷三十カ村の庄屋と相談し、幕府に大和川付け替えの嘆願書を提出しました。
 その内容は、大和川と石川との合流点、船橋村から新水路を真直ぐ西へ掘るというもので、この方法以外に中河内を水害から守る道はないと力説し、九兵衛が数年かかって作った計画書と実測図を添えてありました。
 幕府から、何の音沙汰もないまま六年が過ぎた明暦二年(1656)、九兵衛は世を去り、三男の甚兵衛が、父の遺志を継ぎ、父同様に陳情をくり返しました。その内、このことを知った新川工事予定地の二十五村の庄屋や農民が反対運動を起こし、両派の激しい抗争が約六十年も続きました。
 貞享二年(1685)の夏、記録的な集中豪雨で、中河内一帯の河川は、一斉に氾濫し、家も田も一月余り水中に没し、死者千名に及ぶ大被害を受けました。
 甚兵衛らの嘆願運動は、それこそ必死でした。さすがに幕府も、この惨状は坐視し得ず、彼らの願いを入れて、新川付け替えの工事実施を決めました。
 工事は、宝永元年(1704)二月、船橋村から計画通り西へ西へと開削され、その年の十一月、現在見られる新大和川が竣工しました。
 新川は、長さ七千九百八十間(約14.5キロ)、川幅百間(約182メートル)、人足延二百四十五万人、工費七万二千両となっています。
 つるはしともっこによる工事にしては予想以上に早く竣工しましたが、水禍の苦しみから逃れようとの悲願に燃えた農民たちが、大勢しかも喜んで参加し、昼夜の別なく精を出したため、言わば、農民の執念が工期を短くしたのです。この新川の開削には、三百八十町歩の農地が潰されましたが、旧河川の敷地跡には、千六十町歩が開墾されて新田が生まれ、従来からの米麦の外に、棉花、菜種の栽培が盛んとなり、後年"河内もめん"や良質の"白絞油"が生産され、河内の特産品として大正の頃まで栄えました。
 新大和川は、河内を水害から守っただけでなく文化や産業の発展にも役立ちました。
 大和川の工事の無事を感謝し、併せてこの川の平安を祈って、浅香の丘(JR阪和線浅香駅東南150メートル)に稲荷神社が創建されましたが、大和川開削を物語る唯一の遺跡となっています。拝殿前に、この工事の最高責任者であった大久保大隅守忠香(幕府の普請奉行)と彫まれた石灯篭一対が見られます。
 生涯を治水に尽くした甚兵衛は、幕府から苗字帯刀を許され中姓を名乗り、享保十五年、九十二歳の天寿を全うしました。大正三年、国は、中甚兵衛の生前の功績に対し、従五位を追贈。翁のその輝かしい顕彰碑は、今米の生誕地に建っています。
【出典:『和泉のくに今昔物語』(著作:堺大仙 発行:財団法人大阪府泉北センター 昭和63年11月)】

更新履歴
更新:2014年10月27日 14:46:44 今の大和川を追記
作成:2014年 8月20日 12:04:49 再構築
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