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名所図会 巻2-21 牛頭天王社

牛頭天王社ごづてんわうのやしろ


さかい
東原とうげん天王
東原天王は、百濟の王仁を祀る也。廟は河州、交野郡藤阪村山中にあり。

中筋村にあり。祭神、中央ちうわう牛頭ごづ天王、左、東原とうげん明神、右、向井むかい皇子。ある日、東原社とうげんのやしろ王仁わうにんの霊也。向井むかいは、兎道稚郎子命うちのわかいらつこのみことあはせて三社とす。抑、王仁は百濟国はくさいこくの人なり。應神をうしん天皇十六年春二月に来朝し、則、兎道命うちのみこと王仁わうにんとし給ひ、もろもろの典籍てんせきを学び給ふ也とぞ[日本紀]。

今の牛頭天王社(向井神社)

 向井神社は方違神社の東南約半町に位し、仁徳、履中、反正三天皇、菟道稚郎子、百済王仁を合祀す。大化六年正月巨勢朝臣鳥麿を神主として、反正天王の神霊を斎祀せしめたところと伝へてゐる。
 本社亦一に楯井原社とも称せられてゐる。楯井とは神功皇后御親ら天神を奉祀し、湧出の霊泉を楯を以て劃せられた故事に因って楯の井と呼び、又反正陵が其井に向ふにより、向井社或は楯井原社とも呼ぶと云ひ、(向井神社調査書) 其東原明神と称するのは、王仁を祭るが為め、天王社と呼びは、牛頭天王を祀るが故であると云はれてゐる。(泉州志巻之一、全堺詳志巻之上) 
 本社は方違神社と共に別当向泉寺の奉祀するところであったが、明治維新後神仏分離の際に独立した。明治六年三月郷社に列し、同二十六年六月市之町東五丁別当阿弥陀寺の奉祀した無格社如意神社及び末社彦天津積神社を合祀した。境域千六百二十一坪、本殿、幣殿、拝殿、神輿庫を具へ、境内に愛宕神社、神明社の外に小祠四社があったが、明治四十年十月方違神社に合祀された。(向井神社調査書)
【出典:堺市史】


方違神社境内に建てられている向井神社碑

更新履歴
更新:2014年10月27日 15:53:08 今の牛頭天王社(向井神社)を追記
作成:2014年 8月20日 13:49:12 再構築
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