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名所図会 巻2-23 堺王子

堺王子さかいのわうじ

向井領にあり。元和一らん荒廢くはうはいして、旧趾きうし詳ならず。
熊野くまの王子記]云、堺王子、又、向井ノ王子といふ。
後鳥羽院ごとばのゐん熊野くまの御幸記]に云、建仁けんにく元年十月十六日、今日、御馬堺の王子に参ると。熊野九十九所王子祠は、天子行幸みゆきの御時、御休息所ごきうそくしよ毎に、熊野遥拜所ようはいしよを建置れしと見へたり。王子は祖神おほし也。又、王ともしよす。次はヤトルといふくん也。熊野若一にやくいち王子わうしは、天照太神也。

今の境王子

 境王子は現在の堺市堺区三国ヶ丘町付近にあったと推定されている。この地域は、摂津、河内、和泉の境があった場所で、境王子の名はこれに由来する。また、「堺」(「境」の別表記)という地名も境王子が置かれた平安時代後期から歴史文献に登場するようになり(1081年(永保元年)の『藤原為房卿記』には境王子が「和泉堺之小堂」という名称で登場し、これが「堺」という地名の初出である)、境王子がその由来となったと考えられている。
 王子社は、後世に堺市熊野町の熊野神社(現在の堺区熊野町東1丁の大道筋沿い)に移り(時期不詳)、その熊野神社も1908年(明治41年)6月に菅原神社(堺区戎之町東2-1-38)に合祀されたため、正確な位置は不明である。
 しかし、文献などから、大坂から南下してきた熊野街道は堺の町の東側を通り、方違神社付近で長尾街道(大津道)と交差し、反正天皇陵の西側を通っていたことはわかっており、境王子は方違神社(堺区北三国ヶ丘町)の北方付近にあったと考えられている。実際、文久三年の堺絵図には「小栗道」「王子ヶ飢」の記載があり、境王子がかつてあったことがうかがえる。
 これらのことから、現在は王子ヶ飢公園(堺区北田出井町3-46)に「境王子跡」の石碑が建っている。これは熊野本宮大社の鎮座する和歌山県本宮町(現田辺市)から贈られたものである。

王子ヶ飢公園 「境王子跡」の碑

「境王子跡」碑の説明プレート 丘の上にあった墓石か石碑?
表面が風化し彫られた文字が読めない。ただ、横に「享保」の文字が見えるので18世紀初頭に作られたのではないでしょうか。

更新履歴
更新:2014年10月27日 16:20:41  今の境王子を追記
作成:2014年 8月20日 14:07:02 再構築
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