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名所図会 巻2-29 万代八幡宮

万代八幡宮もづはちまんぐう


万代八幡宮[全景]


ちうてんわうのみさゝき
万代もづ 南鳥居
百濟川くたらかは 古蹟


万代八幡宮もづはちまんぐう

土師はじ村は万代もづほとり也。上古、土師氏の所居といふ。今も其裔孫ゑいそんありとぞ。垂仁帝すいにんてい英臣ゑいしん土師宿禰はしのすくねは希代の賢臣けんしんそのうへ勇猛ゆうもうなる事、本朝ほんてうの[史記]或は[諫奏録かんそうろく]にも見へたり。又、河内國にも同名あり。今、道明寺と云。

毛須莊もずのしやう赤畑村にあり。百舌鳥もず裳伏毛受藻伏とも書す。むかしは土師郷也。仁德帝、此地に於て、初てたかを得給ひ、さけきみをしてかはしめ給ふ。これ、鷹匠の始り也。
[新 葉]
   和泉國万代の別宮に参籠しける時よめる
 民やすく國おさまれと祈るかな人のひとよりわか君のため          二品法親王深勝

祭神さいしん
中央、應神をうしん天皇、ひだり住吉すみよし、右、春日かすが神功皇后しんくうくはうくうあはせ奉る。欽明きんめい天皇の御宇、神託によつて、此ところに神殿を造営し給ふ。いにしへは社頭巍々きゝたり。兵火にかゝつ荒廢くはうはいし、今、本殿、神宮寺しんぐうじ鐘樓しゆろう、絵馬殿、弁天社、藥師堂あり。西に御廟山あり。前に百濟くたら川。別当を重樂院といふ。

[延喜諸陵式]曰、
 恵我藻伏山岡ゑがのもふすやまをかみさゝきは、軽嶋明宮かるしまあきらのみや御宇あめがしたしろしめす 應神天皇をうしんてんわう河内國かはちのくに志紀郡しきこほりにあり
今、これをかんがふるに、藻伏もふ百舌鳥もず同訓どうくんなるゆへ、後人こうじんあやまり混ずるものならん。又、[社説]云、應神天皇、初百舌鳥もず野にかくし奉る。後、改て、譽田こんたに遷し奉るものなりとぞ。

今の百舌鳥八幡宮


百舌鳥八幡宮本殿前 石段と鳥居


百舌鳥八幡宮社殿(拜殿)

百舌鳥八幡宮御由緒書

御祭神
 大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町にある百舌鳥もず八幡宮はちまんぐうは、6世紀欽明天皇(第29代 在位539年?571年)の時代に創建され、その後、後白河天皇(第77代 在位1155年?1158年)の時代に京都府八幡市の石清水いわしみず八幡宮はちまんぐうの別宮となった伝えられています。
 御祭神は、応神天皇(誉田別尊ほんだわけのみこと)。神宮皇后(応神天皇の御母:息長帯比賣命おきながたらしひめのみこと)、仲哀天皇(応神天皇の御父:足仲彦尊 たらしなかつひこのみこと )、住吉大神、春日大神が配祀されています。

御由緒
 所伝によれば、神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。
 その後社運次第に隆昌に赴き、朝野の崇敬愈々厚く、王朝時代には社僧四十八ケ寺、社家三百六十人、神領寺領八百町歩を擁した。
 古い記録としては、現在滋賀県長浜町に応安六年在銘の古梵鐘があり、之はもと本社の什物であったもので、その銘文中に「近衛天皇の仁平年間に本社の梵鐘が鋳造された」旨記されている。
 又、山城石清水八幡宮所蔵の古文書には、後白河天皇の保元三年に、当社が石清水八幡宮の別宮となっていたことが見え、また後宇多天皇の建治年間には、三百石の年貢米を本宮たる石清水八幡宮に納めていたことが記されている。
 又、新葉和歌集には「和泉国万代別宮に参籠し侍りける時よめる」として
 「民安く国治まれと祈るかな、人の世よりもわが君の為」
という二品探勝親王の御歌が載せられている。
 親王は亀山天皇の皇子恒明親王の王子であらせられ、南北両朝戦乱の世を憂い給うの余り、当社に参籠されたのであり、当時皇室の御帰信の深かったことが知られる。
 前記、応安六年在銘の梵鐘を奉納したのは当時和泉国の領主であった九州の豪族大内氏であり、このように武家の崇敬も厚かったが、大内氏の和泉に於ける兵乱や、降っては元和元年大阪夏の陣の兵火等、度重なる災禍を蒙った為、次第に昔日の壮観を失い、什宝、古文書等も多く散逸した。併し、その後も尚当社は地方信仰の中心として重んぜられ、徳川時代に於ても、青蓮院宮・町尻家・随心院門跡・土屋候その他より奉納寄進などのことあり、近くは明治八年大久保利通卿が参拝され、拝殿の額面を揮毫された。
 なお、大阪城代の交替の際には、必ず当社に参拝するのが例とされ、また、毎年の例祭には堺町奉行が参向する定めとなっていた。
 公武の帰信既にかくの如くであったことからも、庶民の崇敬の厚かったことも当然であった。氏子の信仰はもちろん、古来、大阪市、堺市及び近郊の人々の参詣多く、江戸時代に大阪堂島より二三百人の大団体が献納物を奉じて賑々しく参拝したことが記録に見える。堺市の如きは準氏子地の如き関係を有し、現在でも厄除開運として市民の信仰が深いものがある。
【出典:百舌鳥八幡宮御由緒書参照】


百舌鳥八幡宮社殿(本殿、幣殿、拜殿)

拜殿内 大久保利通卿揮毫の額 本殿前鳥居 大久保利武卿揮毫の額



大阪府指定天然記念物 百舌鳥八幡宮のくす

 社殿は、南に面し本殿・幣殿・拝殿・東華門・西華門を備え、江戸時代の建築で昭和四十六年に修復され、社殿の大きさは府下屈指と言われています。
 他に若宮社、市杵島社、稲荷社、招魂社、絵馬殿、神庫があり、社域約一万坪。地形は、起伏にして数多くの老樹が生い茂り、放生池もあります。
 境内には、拝殿に大久保利通卿揮毫の額面、そして大久保利通卿三男で大阪府知事を歴任された大久保利武卿の揮毫の額面が本殿前鳥居に掲げられています。また、大阪府天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨木楠樹は八方に枝葉を茂らせ威風堂々としたものがあります。

更新履歴
更新:2014年10月27日 16:46:44 今の百舌鳥八幡宮を追記
作成:2014年 8月20日 23:09:40 再構築
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