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名所図会 巻2-32 一乘山家原寺

一乘山いちじようさん家原寺ゑばらじ


家原寺ゑばらじ

家原ゑはら村にあり。開基、行基ぎやうぎ菩薩。中興、興正こうしやう菩薩。

本尊文殊もんじゆ
左、釋迦、右、普賢、共に行基の作也。本尊の毫中がうちうに、壱寸八分の黄金わうごん佛を安す。天竺波羅門ばらもん尊者そんしゃ、天平十八年、南都なんと東大寺とうだいじ建立の時来朝らいてうし、将来しようらい霊佛れいぶつなり。

多寚塔たほうたう
大日如来を安置す。香燈木院かうとうもくゐんと称す。

不動堂ふどうどう
本堂の右にあり。

祖師堂そしだう
本堂の北にあり。中央、行基ぎやうぎ菩薩。左、弘法大師。右、興聖こうしやう菩薩。

藥師堂やくしだう
本堂の巽にあり。

清涼院せいりやうゐん
本堂のうしろにあり。行基、戒壇の地なり。

鎮守社ちんじゆのやしろ
金峯きんぷ熊野くまの白山はくさん八幡はちまん丹生にふ高野こおの等の神社を祭る。

誕生木たんじやうもく
行基、出生の時、胞衣ゑなこのかけし也。

龍穴りうけつ
西門の南にあり。

経塚
本堂の南にある

閼伽井あかい
塔の下壇にあり。

放生ほうじやう
西門の内にあり。此池の片目かためうをあり。

樓門趾ろうもんのあと
本堂の前、下段にあり。

弁財天べんざいてんの社  聖天尊しやうてんそんの
ともに池中にあり。

善光寺ぜんくはうじづか
池中にあり。ある人、善光寺如来の霊告れいこうを得て、しやう極楽ごくらくゐんさづかり、此池中に安置し、善光寺塚といふ。

王門わうもん
金剛力士を安す。

三反田さんたんた
門前にあり。行基、田畔てんはん?(田に人)わりをしへ給ふ所也。

それ家原寺ゑばらじと申は、大僧正行基ぎやうぎ出誕しゆつたん家地いゑところにして、後、あらためて精舎しやうしやとなす。行基ぎやうぎは、天智帝てんちてい七年にうまれ給ひ、父は高志氏たかしうぢ貞知さだとも幼名ようめい法貴丸はうきまるがうす。百濟王はくさいわうゑい王仁わうにんのち也。はゝは、蜂田首はちたのおふと虎身とらみむすめ藥師姫やくしひめといふ 今の蜂田はちた華林寺けりんじは、此藥師女の家地いゑところ也。行基ぎやうぎみづからしていはく山海さんかい两邉りやうへん中間ちうげんに、一乘いちじやう菩提峰ぼだいほうといふあり。慈尊じそん成道じやうだう勝地しやうちにして、霊山りやうぜん會場ゑじやうことならず。西北せいほくは、蒼海さうかいらうしやう洋々ようようとして、はるかにこゝろ億國おくこくねんじ、観法くはんぱう九品くほんすましむ。其山そのやまかたち獅子しゝたり。北面ほくめんして、かしらひだりめぐらしてなんす。いけ穿うがつくちとし、はしは、すなはちした也。ひたひをかさきみゝみちまなこいはやまぶたみぎりくさひげかづらそのかたち宛然ゑんぜんたり。三國さんごくつちあつめだんきづき、一たてて、釋迦しやか文殊もんじゆ普賢ふげんあんす。かたはら禅室ぜんしつつくり、まへ高門かうもんたてて、二金剛こんがうを置。ひだり鐘樓しゆろうみぎ鼓樓ころう三層塔中さんそのたうちうには、四智佛しちぶつゑかいあんし、西にし藥師堂やくしだうつくり、ひがし鎮守ちんじゆかみまつる。うしとら食堂じきだうひつじさる開基かいき平居へいきよ禅室ぜんしつ山上さんじやうには龍穴りうけつあり。又、赤龍渕しやくりようゑんといふ所には、漢高かんかうれいまつる。これは、行基ぎやうぎ系脈けいみやく百濟王くたらわう遠祖ゑんそ也。西門さいもんかたはら放生池はうしやうちあり。行基、かつ帰路きろのとき、さと年少わかものうをとつ池邉ちへんゑんす。たはむれに、なますを行基にすゝむ。すなはち、これをくふて、池にのぞみ、吐出はきいだし給へば、小魚しやうぎよとなつて水上すいしやうあそぶ。片目魚かためのうをいまにあり。里人さとびと奇異きゐに思ひをなす。つかうへゑのきあり。初生しよしやうの時、ゑなかくる所なり。これを、今に誕生木たんじやうぼくといふ。方田はうでん三段さんだんあり。これ、天下てんか田畔てんはんかずかんがみ法則ほうそく也。山嶺さんれい一乘いちじやう菩提峯ぼだいほうといふ。かるかゆへに、一乘山いちじやうさんがうし、その本生ほんしやう家地かちなれば、家原寺かげんじぶ。行基ぎやうぎしつ清涼院せいりやうゐんといひ、神野かんやみなみさき神崎院かんさきゐんとなづく。外門ぐはいもんには、すなはち、行基誕生地たんじやうちはうし、佛塔ぶつたう香燈木院かうとうもくゐんと号す。すべて、此寺に名勝めいしやう十區じつくをよべり。天平てんひやう丙子年、波羅門ばらもんそうじやうしん金の文殊もんじゆ本堂ほんだう文殊もんじゆ毫中がうちうおさむ。同じく、しやうらいしきぶつしや寳藏ほうざうおさめ、はうまる 行基幼名 の産髪うぶかみあそびざいてんとう毎歳まいさい六月廿三日、むしはらひはいなさしむ。[續日本紀]曰、大僧正ぎやう都鄙とひ周遊しうゆうして、しゆじやうけうし、四はう要害ようがいところには、はしつくり、つゝみきづかしむ。ひやくせい、今に至ッて、そのかうむるもの多し。とよさくらひこ天皇 聖武帝 はなはだ敬重けうちうし給ひて、みことのりしてだいそうじやうさづく。しやうれい神験しんけんおほし。ときひとぎやうさつしやうす。りうところ、みなだうじやうたつないには、すべて四十九ゐん諸道しよだうにも亦多し。ついに、てんへいしやうぼう元年二月丁酉遷化す 齢八十。
[親長記]曰、
    文明十一年三月十四日晴、家原寺に詣て文殊を拜し、残花をみてよめる
  山風のさそはぬさきにちりさりし身をうらみても花はちりけり           親  長

今の家原寺


家原寺山門


本尊文殊菩薩が安置されている本堂


智恵の文殊と言われているだけに、本堂のいたるところに願掛けのハンカチが貼られています


行基菩薩誕生塚


開山堂 名所図会では祖師堂と書かれています。


塔頭中院三重塔


塔頭中院境内から望む家原寺伽藍配置

家原寺石造板碑 家原寺石造板碑案内板
家原寺石造板碑案内板
建造物 家原寺石造板碑
 この板碑は、もと家原寺東方にある家原寺墓地内の火葬場の東側にあったものである。
 安山岩製と思われる堅緻な石材を素材として天文廿年辛亥二月十五日の造立の銘がみられ、家原寺が天文二十年法印源範などを勧進僧とし墓地を共同する十一ヶ村に呼びかけその板碑が造立されたことが知られ、家原寺墓地の整備を示す重要な資料である。

 飛鳥・奈良時代の名僧行基は、この地で生まれ数多くの社会事業を推し進めた。僧侶として民間布教を行うとともに、農業・土木・交通・医療等の福祉事業にも尽力し、生前から菩薩と呼ばれていた。
 行基は、生涯四十九の寺院を建てた。家原寺は、慶雲元年(704)に自身の生家を寺として開いたもので、行基の活動の原点とされた。本尊の文殊菩薩像は「智恵の文殊」として、一年を通して数多くの参拝者があり、特に多くの学生が合格祈願に訪れることで非常に有名である。
 行基が灌漑利水の施設を多く作り、農業生産の向上を指導したことなど、その出身と事業を描いた、家原寺所蔵の「行基菩薩行状絵伝」三幅は、国の重要文化財に指定されている。また、この境内は大阪府指定の文化財(史跡)となっている。
 毎年行われる一月十四日、十五日(小正月)の大左義長法会は「家原のとんどまつり」として知られ、多くの参拝者が昇運・無病息災を願って訪れる。
【出典:堺市設置境内案内板】

堺市史 第七巻
第一編 人物誌 第一章 黎明期(堺の濫觴より南北朝時代迄)
  (一)行基
行基は和泉國大鳥郡家原の人、[日本靈異記に、越後頸城郡の人に作る](一乘山家原寺緣起、元亨釋書、日本往生極樂記)俗姓高志氏、天智天皇の七年生まる。(一乘山家原寺緣起、元亨釋書)十五歳出家して法行と稱し、(一乘山家原寺緣起)大和の藥師寺に入り、新羅の僧慧基に就いて、瑜伽、唯識等を學び、(元亨釋書)名を行基と改め、(一乘山家原寺緣起)道昭、智鳳、義淵に從つて、其蘊奧を究め、慶雲元年父の菩提の爲めに、家原の居宅を喜捨して佛寺とし、(一乘山家原寺緣起、行基年譜)自ら大和の生馬山に隱棲して、老母に孝養を盡くしたが、母の歿後、【衆生化導】出でて四方に遊んで衆生を化導した。(行基大菩薩行狀記、行基年譜)都鄙到る處、歸依追從するもの數千人に達し、養老元年四月には嚴に行基及び其徒を戒飭するに至つた。斯くして諸國を遍歷して行化に力め、兼ねて土木を興して民利を圖つた。次いで天平十五年聖武天皇廬遮那佛造立の本願を起したまふに當り、勅を拜して伊勢に赴き、太神宮の神託を請ひ、(東大寺緣起)又天皇近江の紫香樂宮に御して、廬遮那佛像造立の爲め、始めて寺地を開かるゝに方り、諸弟子を率ゐて衆庶を勸誘した。(續日本紀)功を以て十六年勅して行信を遣はし、封戸九百を給し、(行基年譜)十七年(續日本紀には、十八年に作る)正月大僧正に任ぜられ、(一乘山家原寺緣起、僧綱補任)度者四百人を賜はつた。大僧正の官實に此に始まる。其畿内に創建した諸寺院の中、【高渚寺】和泉の高渚寺は大鳥郡葦田里にあり、鹽穴鄕に屬する。(行基年譜)【堺に於ける開創の寺院】堺に於て行基の創造と稱へらるゝ寺院に、念佛寺、向泉寺、鹽穴寺、極樂寺、東光寺淨得寺等がある。(念佛、向泉、鹽穴、淨得各寺緣起、堺南北寺庵本末開基宗旨改帳、堺鑑中)【三國の布施屋】行基は又三國衢に布施屋を設け、行旅に便し、(泉州志卷之一、和泉名所圖會卷之二)【向泉寺井鹽風呂】向泉寺の井、鹽風呂亦行基の開鑿に係るといはれ、更らに(向泉寺及び旭蓮社緣起、堺鑑中)【四箇所三昧】堺四箇所の三昧、卽ち湊、向井領、皇子飢及び七度濱亦皆行基の開創したものと稱せられてゐる。(堺鑑上)天平勝寶元年正月十四日、天皇、皇后は、行基を宮中に請じて菩薩戒を受けられ、大菩薩號を賜はり、(法中補任、元亨釋書、東國高僧傳卷第一)次いで同年二月二日菅原寺の東南院に示寂した。世壽八十二。[續日本紀、日本往生極樂記には、享壽を八十とす](一山家原寺綠起、大僧正乘舍利甁記、元亨釋書)

更新履歴
更新:2016年01月24日 12:53:44 家原寺石造板碑案内板碑文及び堺市史第7卷行基を追記
更新:2014年10月28日 12:09:28 今の家原寺を追記
作成:2014年 8月21日 10:37:58 再構築
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