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名所図会 巻2-36 大鳥大明神社

大鳥大明神社おほとりたいみやうじんのやしろ


大鳥神社おほとりしんしや

大鳥村にあり。[延喜式神名帳]曰、明神大月次新嘗。和泉國一みやしやうす。例祭、八月十三日。

祭神さいじん日本武尊やまとたけのみこと
[三代實録]曰、貞観元年春正月、和泉國大鳥神に従四位を授く。同九月八日、大鳥の神に詔して幣を奉り、風雨の為に祈る。同三年秋七月二日、大鳥の神に従三位を授く。
[大鳥社流記]云、
○第一天太日孁尊あまのおほひるめのみこと 祭神、天照太神
○第二大鳥爾波比にはひ神社 祭神、日本武尊
○第三中津尼濱神社 祭神、两入媛命
○第四大鳥鍪靭神社 祭神、穴戸武媛命
○第五大鳥井瀬神社 祭神、弟橘媛命

[大鳥社傅]云、当社は景行けいかう天皇の皇子わうじ日本武尊やまとたけのみことなり。同帝どうてい廿七年、日本武尊やまとたけのみことつかはして熊襲くまそうたしむ。御歳おんとし十六歳也。その勲功くんこうおほひにして、又、同帝どうてい四十年しじうねんみことをして東夷とうゐうたしむ。出陣しゆつじんの時、みちよぎりて、伊勢いせくはう太神宮にもうで齊宮さいぐう倭姫命やまとひめのみこと草薙釼くさなぎのつるぎさづかり、それより東夷とうゐやすたいらげ、凱陣がいぢんの時、伊勢國能褒野のほのにてかみあがりし給ふ 御歳三十。すなはち、其みかくし奉る。みさゝぎより八尋やひろ白知鳥しらとりし、倭國やまとのくにに飛去給ふ。群臣ぐんしんその棺櫬みつきをひらいて見れば、明衣みぞむなしとゞまつ屍骨しこつなし。使者ししやつかはして、白鳥しらとりたづねしむ。すなはち倭國やまとのくに琴弾原ことひきがはらにとゞまる。又、こゝにみさゝぎをいとなむ。白鳥、また飛んて、河内國かはちのくに古市郡ふるいちこほりに至る。又、其みさゝぎつくりて、此三りやうを時のひと白鳥しらとりといふ。ついに、たかかけつて、てんあがり給ふ 已上[日本紀]。其後、宮殿くうでん同國どうこく大野里おほのゝさとたてて、鎮坐ちんざし給ふ。今の大鳥社、これ也。八尋やひろ白知鳥しらとりを以て、大鳥おほとり大明神とがうし奉る。爾来しかしより、一種々しゆじゆ樹木じゆもくしやうず。此ゆへに千種杜ちくさのもりといふ。[一宮記]曰、大鳥社は日本武尊やまとたけのみことなり。むかし、白鳳はくほう飛来とびきたッて、こゝにとゞまる。これ、天照太神の所化しよけなり。
羅山[本朝地理志畧]云、和泉國大鳥社は、むかし、神化して白鳳と成来て、こゝにる。故に、社を建て、これをまつる。なづけて大鳥といふ。
[平治物語]云、平清盛たいらのきよもり、同重盛しげもり熊野くまのに詣けるに、洛陽の兵乱を聞て、半途はんとより帰る。和泉國大鳥ノ神社に至て、重盛しげもり、平日あいする飛鹿とびか毛といふ名馬を神馬に奉る。清盛和歌を収む。
    かひ子そよかへりはてなはとひかけりはこくみたてよ大とりの神             清  盛

神宮寺じんぐうじ
大鳥山勧学院神鳳寺といふ。本地堂には、釋迦しやか、藥師、阿弥陀を安す。初は行基菩薩の開く所也。星霜せいさう累りて荒廢くはうはいに及びしを、寛文の初真政しんせい圓忍ゑんにん律師、真言しんごん律院を建て、当國の学校がくかうとす。社頭は、慶長七年十一月、豊臣とよとみ秀頼ひでより公、泉州五社を再興す。其後、大坂一乱に、大鳥社、兵火にかゝつ破滅はめつし、わづかに、塔一基のこつ荒野くはうやとなりしを、寛文二年三月、堺の先刺史、石河土佐守利政、石柱の鳥居を建て、再興に及ふ。其時、神宮寺律院も、今の如く創建ある也。

行基ぎやうぎ
神宮寺くりやの前にあり。清泉せいせん甘味かんみ也。

千種杜ちくさのもり
当社の森をいふ。

明神みやうじん影向石ゑうがうせき
本社の北にあり。此神石しんせき、回禄の後、くさむらうづもれありしを、石河いしかう土佐とさ守、穿うがおこして持帰り、庭前に置けり。時に、其夜、霊夢れいむありて、神祟しんそうたゞならねば、大に驚き、もとの地へ帰し送らる。なを、神なだめんか為、石の鳥居、杉千本を植させて、和歌二首を奉らる。
   玉籬に岩きり多く動なき國をまつりの大鳥の神              利  政
   いつみなるちくさの杜にあとたれてちかひつきせし万代まてに        同

今の大鳥大社


大鳥大社鳥居


大鳥大社社殿 前に八角形の鳥居が建っています


大鳥大社拝殿


大鳥大社幣殿・本殿

大鳥大社由緒
祭神 日本武尊
大鳥連祖神
例祭 八月十三日
御増祀記念大祭 三月十五日
 当社はその起源古く古来大鳥大明神と称せられ延喜式名神大社であり和泉国一の宮である。
 日本武尊は景行天皇の皇子にして勅を奉じ熊襲並に東国を平定、帰途伊吹山の賊を平げたとき病を得て伊勢国熊褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と化し御陵を出で大和国琴引原、次に河内国古市にとび最後に此の地に留り坐したので社を創建、之が当社の起源と伝える。
 又、大鳥連祖神は大中臣と元を一にし祖先は天の岩戸開きに功を立てた天児屋根命である。
 聖武天皇の御世には僧行基が勅願により神宮寺としてこの地に勧学院神鳳寺を建立したが明治の神仏分離により廃寺となり当社は明治四年五月官幣大社に列格。
 社殿は大鳥造と称して神社建築史上貴重な様式を今に伝えている。
【出典:大鳥大社参道 由緒案内板】

 大鳥大社おおとりたいしゃは大阪府堺市西区(旧和泉国大鳥郡)にある神社。全国の大鳥神社の本社とされる。式内社(名神大)、和泉国一宮で、旧社格は官幣大社(現、神社本庁の別表神社)。本殿は大鳥造という独自の古形式を保っている。

由緒
 日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に和泉国のこの地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだという。

社名
 「大鳥大明神おおとりだいみょうじん」「大鳥大神宮おおとりのおおがみのみや」などともいわれた。現在の正式な社名は大鳥神社おおとりじんじゃであるが、一般には大鳥大社の社名の方が広く使用されている。

祭神
日本武尊やまとたけるのみこと
大鳥連祖神おおとりのむらじのおやがみ
 元来の祭神は大鳥連の祖神であるらしかったが、一時期天照大神が祭神とされるようになった。「和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起」によると本地仏は釈迦如来となっている。その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着した。これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられる。
 以来、長い間にわたって日本武尊を祭神としてきたが、明治二十九年(1896)に政府の祭神考証の結果を受け内務省の指示により、大鳥連祖神(天児屋命)に祭神を変更した。その後、戦後になって昭和三十六年(1961)に大鳥連祖神にくわえて、日本武尊を祀った。
 大鳥連は中臣氏と同じく天児屋命を祖神としていたので、大鳥連祖神は天児屋命ということになる。

歴史
 大鳥連が祖神を祀ったのが始まりだと考えられている。弘仁十四年(823)七月四日に積川神社とともに朝廷の祈雨の奉幣を受ける(『日本後紀』)。承和九年(842)十月九日に和泉国泉穴師神社・積川神社とともに神階昇授を受け、従五位下から従五位上になる(『続日本後紀』)。貞観元年(859)一月二十七日には全国諸神とともに神階昇授を受け、従五位上勲八等から従四位下になり、同年九月八日に朝廷より風雨のため、畿内諸神とともに奉幣を受ける(『三代実録』)。貞観三年(861)に紀伊国御船神とともに神階昇授を受け、従三位となる(『三代実録』)。延喜二十二年(922)の「大鳥大神宮五社流記帳」では神階は正一位勲八等とあり、祭神が天照大神となっている。延長五年(927)の『延喜式』神名帳では、和泉国唯一の名神大社となっている。
 別当寺として大鳥山勧学院神鳳寺が平安時代末期には存在していた。行基の開山というが事実ではない。
 鎌倉時代初期には、同郡の式内社の大鳥美波比神社・大鳥鍬靫神社・大鳥井瀬神社・大鳥浜神社とともに「大鳥五社」を形成する。また南北朝時代よりは泉穴師神社・聖神社・積川神社・日根神社とともに「当国五社大明神」を形成するにいたる。中世には和泉国一宮として国衙などから崇敬を受けるが、一方、従来、大鳥神社を祀ってきた大鳥氏は主導権を国衙勢力などに奪われて衰退していく。織田信長は天正三年(1575)に所領千三百石を安堵している。
 中世の兵火により、神鳳寺とともに焼失するが、片桐且元を奉行とした豊臣秀頼の一連の社寺造営で慶長七年(1602)に再建されるが、大坂の陣で十三重塔を残して再び灰燼に帰した。その後、寛文二年(1662)に幕命により堺町奉行石河利政が大鳥神社及び神鳳寺を再建した。元禄十四年(1701)には幕命により柳沢保明が修営した。延宝-元禄年間になると、快円恵空が神鳳寺に入って勢力を拡大し、柳沢氏の保護を受けたこともあって、神鳳寺は全盛期を迎える。神鳳寺は「真言律宗南方一派」の本山となり、畿内を中心に七十六寺もの末寺を擁した。神鳳寺の繁栄を影に大鳥神社は衰退したため、地元民は反発して、延宝三年(1675)から近世末まで紛争が続いた。社家である大鳥氏は断絶し、その後は和泉総社の神職が祭祀を引き継いだ。
 明治になると神仏分離により神鳳寺は廃寺となり、末寺であった光明院が仏像・記録などを引き継いだ。
 近代社格制度のもと、明治四年(1871)五月に官幣大社に列格された。明治九年(1876)の政府の祭神考証の結果を受け、政府は大鳥連祖神(天児屋命)に祭神を変更した。神社側の反発があったが、明治二十九年(1896)の内務省社寺局の通達により変更が確定した。神社側は祭神の日本武尊への復帰をたびたび求めたが、大鳥連祖神に加えて日本武尊を祀ることに至ったのは、国家管理を離れた戦後の昭和三十六年(1961)になってからだった。 明治三十八年(1905)八月十五日、落雷により社殿は焼失し、明治四十二年(1909)十二月に再建されたのが現社殿である。戦後は神社本庁に所属し、別表神社に指定されている。

境内社
大鳥美波比神社 - 式内社。大鳥五社の一社。明治十二年(1879)に境内に遷座した。明治四十二年(1909)に式内社押別神社・菅原神社四社を合祀した。
   祭神:天照大神
   配祀:菅原道真
   配祀:押別神社(押別命)
稲荷神社

境外摂社
大鳥羽衣浜神社 - 大阪府高石市羽衣
大鳥北浜神社 - 堺市西区浜寺元町
大鳥井瀬神社 - 通称「宿院頓宮」(住吉大社と大鳥大社の御旅所)

境内摂社大鳥美波比神社 大鳥美波比神社拝殿内部 扁額

御神馬像 飛鹿毛(?) 祭神日本武尊御神像

明治期の大鳥大社大宮司富岡鉄斎翁
の筆による平清盛歌碑
本殿の裏手にある明神影向石(神石)を祀った祠

境内摂社稲荷神社 東鳥居と神域の「千種杜」

更新履歴
更新:2014年10月28日 13:58:56 今の大鳥大社を追記
作成:2014年 8月21日 14:07:31 再構築
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