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名所図会 巻2-49 和田城趾

和田城趾わだのしろあと

和田村にあり。楠正成くすのきまさしげ外戚ぐはいせき和田わだ髙遠たかとをきづところなり。
髙遠たかとを曾孫ひまご正武まさたけわかつて泉南郡きしじやうに居す。これをきし和田わだといふ。

今の和田城趾

和田城趾の所在地については、いろいろ説があるようですが、堺市南区和田の探訪に出かけましたが、城趾と確証のもてる場所はありません。また、図書館で調べたところ、和田在住の郷土史家で土師楠嘉氏が次のように発表されていました。
【和田城跡】
 どの書でも、今の堺市和田にあったことと、場所特定が不明であることでは一致している。築城者については、和田高遠説と正遠説がある。高遠は、河内より和田に移住し、和田を氏としたとされる親遠の子である。高遠は、楠正成の妹を娶って正遠を生み、その子正武が、泉南の岸に城をつくり、岸和田と称した、とされる。
 城跡については、村では多聞寺に近い私宅付近と上ノ山付近の二説があったようであるが根拠はわからない。ある書に、延宝検地帳に七十坪の年貢除地を城跡ではないか、という記述があるが、所蔵の延宝、享保の検地帳を精査したが見当たらなかった。なお、検地帳に御林を記入した八十六坪の年貢除地があるが字名の記入がない。また、字上ノ山に帯状の傾斜地の山で共有地があったが、この地を指摘する研究者がいたが、地形的にどうだろうか。
【引用出典元:「堺泉州」第11号 2001.10.1発行                                       
堺泉州の地名「和田の地名、遺跡、史蹟、伝承」和田在住郷土史家 土師楠嘉氏】
和田城趾については、今後も継続して調査したいと思います。

更新履歴
更新:2014年10月28日 14:51:34 今の和田城趾を追記
作成:2014年 8月21日 14:07:31 再構築
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