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名所図会 巻3-12 平松王子

平松王子ひらまつのわうじ

同村にあり。[御幸記]曰、建仁元年十月六日、於平松王子沙汰
[正治百首]
平松はまた雲ふかく立にけり明行鐘はなにはわたりか 後鳥羽院

今の平松王子


平松王子案内碑
和泉市幸町の放光池第一公園道路向いに立てられ、「是より北北西七十米」と刻まれています。


後鳥羽院歌碑
「平松はまた 雲ふかく立にけり あけ行く鐘はなにはわたりか」


歌碑の裏 歌碑建立の「註」書き

御幸記に「建仁元年十月六日平松王子に於て」と記されている熊野詣での途次平松王子で御宿泊詠み給へる和歌である
正治百首所載
昭和六十年十二月吉日
  和泉ロータリークラブ
  創立二十五周年記念建碑

平松王子
 平安時代以後、熊野こそ現世極楽の聖地であるという「熊野信仰」が流行し、一切の罪業消滅を願う皇族や貴族達がこぞって熊野の地を目指すようになりました。この熊野への参詣の道が熊野街道です。
 この熊野街道筋の要所要所に、熊野権現の末社として設けられたのが、熊野九十九王子社であり、遙拝所、休憩所として利用され、その地名を冠して「何々王子」と呼ばれています。
 和泉市内では篠田(信太)王子、井口(茶井)王子、そして平松王子がありました。この平松王子は藤原定家の「後鳥羽院熊野御幸記」によると、建仁元年(1201)十月の後鳥羽上皇の熊野御幸の折り、この王子近くに設けられた行宮(平松御所)で上皇一行が宿泊されており、上皇は「平松はまた雲深くたちにけり、あけ行く鐘はなにはわたりか」の一首を残しています。
 和泉市周辺では説経節で名高い「小栗判官」で、熊野参詣のため車に乗った小栗判官が照手姫に手を引かれて通ったことにちなんで「小栗街道」とも呼ばれています。

平松王子跡の近くにこんなものが在りました


幸町地車庫
歌碑が立てられている公園の一角に「幸」の紋が描かれて立てられていました。

放光池石燈籠 四等三角点
この石燈籠は、小栗街道の伯太北出口、放光池の堤防、道の西側にあったもので、昔は、住吉神社の境内にある「住吉の高燈籠」とともに大阪湾を航行する船に現在位置を知らせる燈台の役目を果たし大阪湾安全航行のシンボルとなっていた言われ形式からみて約三百年前のものと推察される。
【出典:石燈籠前設置案内板】

更新履歴
更新:2014年11月 2日 15:59:21 今の平松王子を追記
作成:2014年 8月22日 17:52:45 再構築
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