カレンダー
前月2017年 7月翌月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
News News  
Photos Photos  
Blog Blog  
アクセスカウンタ
今日 : 5752
昨日 : 8013
今週 : 47704
今月 : 172466
総計 : 1294217
名所図会 巻3-15 穴師大明神

穴師あなし大明神


穴師神社あなしのかみのやしろ

吾孫子莊あひこのしやう宮村みやむらにあり。[延喜式]には、泉穴師神社と書す。穴師は戌亥の風也。又、大和國に穴師兵主神社あり。故に、泉穴師と云。

祭神さいしん
天忍穂耳尊あまのをしほみのみこと栲幡たくはた千千姫命ひめのみことの二座なり。右に、天照太神、住吉明神を祭る。例祭、八月十五日。我孫子あびこ七村の氏神なり。

末社まつしや
多賀、熊野、楠本社、大歳神、蛭子社、蛭子、大黒天。本社の前に石燈爐いしのとうろあり。古代奇雅きがにして名器也。文字見へす。そり橋は本社南壱町にあり。都て、此地の林中、森然しんせんとしてこゝろすみわたりて閑静かんせいの社頭也。

藥師寺やくしじ
穴師社の壱町許南にあり。当社の神宮寺也。今、御旅所とす。本尊、藥師佛を安す。光仁帝寶亀年中に、異國ゐこくより海中に漂ひ来る。浦人、これを見て、大津の浦へ引上ケ、穴師社のかたはらに草堂を建て、これを安置す。其後、又、柱梁うつはりを海中より得て、金堂を建立す。此ゆへに、うつはり蠣殻かきから、今に付たり。それより、代々の天子、尊敬そんけうしたまひて勅願時と成。年久しくくはうはいして、今、わずかに一堂のみ也。

今の泉穴師神社


泉穴師神社 鳥居


鳥居 扁額


拝殿


本殿


反橋


境内設置 由緒案内板

泉穴師神社ご由緒

【延喜式神名帳】 泉穴師神社 二座 和泉国 和泉郡鎮座
【現社名】 泉穴師神社
【住所】 大阪府泉大津市豊中町1-1-1
【祭神】 天忍穗耳尊 栲幡千千姫命
明治12『神社明細帳』天富貴神 佐古麻槌大神
昭和27『明細帳』正哉吾勝々速日天忍穂耳尊 拷幡千々姫命
【例祭】 10月10日 秋季例祭
【社格】 旧府社 二の宮
【由緒】 天平3年(731)悪疫が蔓延の為奉幣
天平4年(732)夏大旱で和泉五社に奉幣
天平9年(737)神戸を以て祭祀料に奉献
天平14年(742)6月窮民賑血に神感あり
天平勝宝年中鎮疫祈願
天暦年中鎮疫祈願大治年中鎮疫祈願
承和9年(842)従五位下『続日本後紀』
貞観7年(865)従五位上『三大実録』
天正3年10月20日織田信長より社領安堵の朱印状
天正13年の豊臣秀吉の根來征伐の際社殿は兵火を蒙つた
慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐且元に社殿造営
明治6年(1873)3月郷社
同27年5月府社
【祭祀対象】 風神
【社殿】 本殿一間社流造、正面千鳥破風つぎのものを二社併立
昭和24年2月19日重要文化財の指定
拝殿
【境内社】 天御前・住吉社・爾波比社・熊野社・愛宕社
楠木社・大歳社・兵主社・大国社・八幡社

泉穴師神社由緒

御祭神
 天忍穂耳尊
 拷幡千々姫命

御鎮座
 天武天皇 白鳳年間(約1300年前)
 大阪府泉大津市豊中1-1-1

御大祭
4月5日   春季大祭
10月10日   秋季大祭
1月1日   歳且祭
1月10日   戎祭
7月15五日  夏宮祭
11月3日  拷幡祭
12月15日 冬宮祭

御由緒
当神社は、式内社で和泉五社の一、泉州二の宮であります。
穴師の里、千古の神境に神殿奥深く鎮ります。主祭神は、農業の神であらせらる天忍穂耳尊紡織の神であらせらる拷幡千々姫命の御夫婦二柱の神であり、天忍穂耳尊は天照大神の御子神で皇室の御祖神の系列にあらせられ、拷幡千々姫命は御名の通り、拷は古い昔衣服の原料となる麻・絹・綿等一切の繊維類の総称であり、幡は「繕」「服」の字に相当し、布帛の総称で、繕具(はたもの)は、織機の意味で衣服の紡織に種々工夫改良を加へられた姫神様であらせられ、泉州の地が今日農耕並に紡織を以って繁栄して居りますのも洵に御神徳のいたすところであります。
衣食の安定は政治の中心でありますので、往古より歴代の天皇の当社に対する御崇敬は、文献に数々残されて居りまして枚挙にいとまありません。
又、古来より、幼児虫封じに霊験あらたかと云はれ、参拝者多数ございます。

御倫並に奉献の一班
孝謙天皇(天平勝宝年中)村上天皇(天暦中)崇徳天皇(大治中)の御宇鎮疫祈願御叡感の綸旨を賜はって居りますし、正倉院文書によりますと聖武天皇が和泉国五社大明神に社領御下賜の際、当社には大鳥神社と共に千三百石を下賜されました。
武家の方の一班をあげますと、天正3年10月20日将軍織田信長公より社領安堵の御朱印状を給はって居ります。

文に
当国五社大明神領事如近年有来可有社納之次山林竹木等一切不可伐採候也祁状如件
天正三年十月二十日 信長朱印

泉州五社へ
元弘元年摂河泉の守楠正成公兵を挙ぐるに当り、国家安寧武運長久を祈り当社に石燈籠一基を奉献して居りまして、現に本殿広前に建って居り、其の形まことに古雅であります。

御社殿並に建造物
本殿は、慶長7年豊臣秀頼公が片桐東市正且元に命じ大修築されたもので、棟札に権大納言豊臣秀頼公片桐東市正且元 花押
子時慶長七年壬寅十月 如意珠日 奉行藤林与左衛門尉定吉 花押 大工次郎左衛門とあり
流造正面千鳥破風付のものを二殿連続したもので、一名比翼造とも云い、細部の手法よく桃山時代の特徴を現し、貴重な文化財として国の重要文化財に指定されております。
又社殿内には御神像83体を蔵し、内8体は重要文化財に指定されております。このように多数の御神像が腐朽せず現存していますことは、全国でも比類なく珍重されております。
摂社春日社 一間社入母屋造檜皮葺
御祭神 天富貴命
    古佐麻槌命
この社殿も桃山時代の特徴をよく具現したもので、重要文化財に指定されております。
摂社 住吉社 一間社入母屋造檜皮葺
御祭神 表筒男命
    中筒男命
    底筒男命
    息長定姫命
この社殿は室町時代の特徴をよく現わし、同じく重要文化財に指定されております。
合杞殿 向破風造 真橡付 檜皮葺
御祭神 菅原大神他七座
この社殿は明治四十一年勅令により、板原村社、菅原神社を社殿共に移転し、虫取村社、八坂神社を初め、近在の神社を合祀したものであります。
戎社 流造 銅板葺 祭神 事代主大神

御神事
春季大祭
聖武天皇天平3年辛未春勅して曰く「国内悪疫流行す、此に敢て蒼生途炭の苦に陥り震憂に堪へず依って国家安全鎮疫のため弊帛を献り大祓を執行すべし」と例に習ひ爾後毎年2月4日大祓を執行して参りましたが、明治維新の後、祈年祭と改称し古例にならひ氏子一統拝殿に集り大祓の詞を同音に奏し、終って一同に盛相飯を賜ります。
昭和21年より4月5日に改め、春季大祭として稚児参拝、餅まき神事、奉納演芸等の神振行事を行っております。
秋季大祭(飯の山神事)
聖武天皇天平14年壬午6月京中大いに飯を降らし、又霊夢により、橘諸兄公に詔して飯の山饗を総社(在府中、和泉五社総社)に渡し五社に供し余を窮民に賑恤せしめられました後、例にならひ天正年間まで毎年8月15日総社五社会幸飯の山を渡すの神事を執行して参りましたが、其の後当社のみは古例にならひ社前馬場先の南端に渡御所を設け今に至る迄、当日神興渡御飯の山御饌鉾を渡すの神事を執行いたして居ります。明治10年より新暦と対照し、10月1日に改め大正10年より近郷他社との申合せにより10月5日とし、秋季例祭と称して居ります。
「飯の山」とは、白米一斗八升・餅米五升合せて二斗三升を蒸飯とし、盤に盛り、御饅鉾と称する地車台にのせ神興に供奉いたします。撤饌後之を一夜に醸酒に醸し、氏子各戸に頒けて往昔窮民賑恤の恩賜を記念すると共に、御食津神の恩を被らしめ給う古式の儀を含めたものであります。
拷幡祭
古老の伝へるところによりますと、往古より明治の初期まで、当社の特殊神事といたしまして、毎年旧正月4日には「仕初」と称して氏子一同参集し「はた」を織り以て拷幡千々姫命の神慮をなぐさめ併せて紡織の弥栄を祈念して参ったと申します。
尚、現在11月3日を拷幡祭と定め、繊維関係業者の弥栄を祈念して居ります。

泉穴師神社 由緒書

更新履歴
更新:2014年11月 2日 16:15:55 今の泉穴師神社を追記
作成:2014年 8月22日 18:03:02 再構築
プリンタ用画面
友達に伝える
前
名所図会 巻3-14/曾根神社
カテゴリートップ
TOP
次
名所図会 巻3-16/大津