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名所図会 巻3-33 國分寺

國分寺こくぶんじ

國分村にあり。今、福德寺といふ。承和六年五月、和泉郡安楽寺を以て國分寺とす。講師一員、僧十口を置く也。[延喜式]曰、國分寺料五千束と

光明皇后くはうみやうくはうくう誕生地たんじやうのち
むかし、智海ちかい上人といふあり。当國泉郡蒲田の産也。同郡宮里の瀧山に住て、佛乘ぶつじやう勤修ごんしゆす。ある時、めしか来ッて、上人の小便べんなめ懐胎くわいたいし、つひに、小女をうみけり。上人、見るに忍びず、隣家りんかをうなをたのみて、慈育じいくさしむ。元来もとより貧賤ひんせんなれば、農事のうじなりはいとす。なつ五月、野田のだに出て、なへうゆるに、かの小女、七歳の時、をうなと共に嬉戯きぜんす。其頃、大臣藤原ふぢはら不比等ふひとう勅願ちよくぐはんの御使として、槇尾まきのを寺にけいす。帰路きろに及んて、一瑞氣ずいきあり。これ、すなはち、小女のよりひかりを放つ。大臣、輿こしよりり給ひ、これを給ふに、全體ぜんたい、みな姝麗しゆれいにして奇代きたいなれは、をうなこふて、輿こしを同じうし帰り給ふ。其より、君王くんわうかたはらして、恩寵をんちやうを得たり。天平元年八月、后宮こうぐうに立たまふ。これ、即、光明皇后くはうくう也。甚た佛法を信し、多くの寺院を建給ふ。当寺は、すなはち后宮こうぐう家地いゑところ也。精舎しやうしやとなして安楽寺と号す。承和年中、勅して國分寺と改め給ふ。瀧山の藥師堂は、國分寺の奥院也とそ。

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作成:2014年 8月23日 11:12:21 再構築
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