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名所図会 巻3-03 信太杜

信太杜しのだのもり

             信太杜しのだのもり
             稲荷祠いなりのやしろ  一めい葛葉祠くずのはのやしろ称す
             千枝ちゑのくすのき
             しくるゝやしのだのもりを庄屋がよめ        湘夕

信太郷中村の莊頭しやうや森田氏の宅地にあり。信太社しのだのやしろより十町ばかり西也。いにしへは、森の封境ほうきやう廣大くはうだいなり。いまは、農家のうかたてならびて、かの居地にはう廿けんばかりなるもりありて、草木繁茂はんもし、尋常よのつね叢林さうりんなり。稲荷祠いなりのやしろあり。おく白狐祠ひやくこのやしろあり。りん中に狐穴こけつ多し。

楠大樹くすのたいじゆ
林中にあり。髙八丈許、めぐり五丈、みきふとさ五ひろ枝葉しよう四方へわかれて、千あり。遠くのぞめば深林の如し。たぐひなき老楠らうなんにして、根株こんちうことことく石の形也。抑、此地は、信たのしん、初て鎮座し給ふとかや。社傅、旧記なく、只、此老楠らうなんのみありて、信太森しのだのもり、世に髙し。
[紀氏六帖]
いつもなるしのだの杜の楠の木の千枝にわかれて物をこそおもへ
清少納言[枕草子]
もりはしのだのもり
[後拾遺]
夜たにあけは尋ねてきかんほとゝぎすしのだの杜のかたになく也 能因法師
[千 載]
おもふことちえにやしけきよふこ鳥しのだの杜のかたになく也 中納言匡房
[新古今]
過にけり信太のもりのほとゝきすたえぬ雫を袖にのこして 藤原保季
[續古今]
風さはくしのたのもりの夕たちに雨をのこしてはるゝむら雲 常盤井入道
[詞 花]
くまもなく信太の杜の下晴て千枝の数さへみゆる月影 内大臣
[續拾遺]
時雨とも何しかわかん神無月いつもしのたのもりの雫を 土御門内大臣
[續千載]
下をれの音こそしけく聞えけれしのたのもりの千枝のしら雪 津守國助女
[ 同 ]
ちえにさく花かとそみる白雪のつもるしのたの杜のこつえは 大藏卿重綱
[新拾遺]
夕立のなこり久しき雫かなしのたの杜のちえの下露 伏見院
[續後拾遺]
とにかくにしけき思ひのたくひ哉しのたの森の秋のゆふつけ 経長女
[新後拾遺]
千枝にこそかたらはすともほとゝきすしのたのもりの一聲もかな 慈鎮
[拾 遺]
道のへの日かけのつよくなるまゝにならすしのたのもりの下かけ 定家
[新 古]
日をへつゝ音こそまされいつみなるしのたの杜のちえの秋風 藤原経衡
[堀川百首]
五月こはしのたの杜の時鳥木つたふちえの枝ことになけ 俊頼
[建保名所]
ほとゝきすいまやみやこへいつみなるしのたのもりの明かたの聲 正三位知家
[ 同 ]
ほとゝきすいまや都へいてつらんしのたの杜に聲を手向て 正三位行能
[建保百首]
千枝にもる信太の杜の下露にあまる雫やほたるなるらん 僧正行意
  和泉式部、道貞にわすられて、ほどなく敦道親王かよひ給ふときゝて、よみてつかはしける
[新古今]
うつろはてしはししのたの杜を見よかへりもそする葛のうら風 赤染衛門
[ 同 ]
  かへし
秋風はすこし吹とも葛のうらみかほには見へしとそおもふ 和泉式部


[抱朴子]曰、きつねいのち八百歳。三百歳もれは、しばらくへんじて人となると見へたり。信田しのたの狐もこのたぐひならんか。
ごそつくをのぞけは竹の皮ひろひ          細石

すべて、くずのうら風、秋風のくずの葉は、みなこひの歌にして、こゝろのみだれさはぐを、くずの風にみだるゝにして、よむなるべし。ちんくはしやうも、我恋わかこひはまつにしくれのそめかねてくずかはらに風さはぐ也。これらも、同じこゝろなるべし。然るを、いま信太杜しのだのもりの稲荷の社檀しやだんに、くず明神とて一まつる。此は、[きのしやう]に、べの晴明せいめいが母は信太森しのだのもりきつね也とそ。又、[玄中げんちう]曰、千歳せんざいきつねいんとなる。ひやくさいきつねぢよとなると、見へたり。奇事きじこのむもの、これらのによりて、千歳せんさいきつねくずといふじんしたるに云囃いゝはやして、こう世、こゝにいはまつるなるべし。ろんずるにらず。しかしながら、泉州せんしう旅行りよかう景物けいぶつなるべし。
誹諧に
くづやむかしの森は庄屋かうら 浪花 野坡
 
神のあめに光るもりわか 籬嶌
 
水遠し昼顔の咲狐原 湖夕
 
冬かれや葛のうら葉に狐なく 昨鳥
 
      雪の日しのたの森を通りて狂歌をよめる
うつくしいくずごとゆきをんなあさ出れはきへきへとなる 斑竹

今の信太森神社


信太森葛ノ葉稲荷神社 正面鳥居


信太森葛ノ葉稲荷神社 本殿


本殿前鳥居 扁額「葛之葉稲荷大神」

信太森葛ノ葉稲荷神社ご由緒

由緒
信太森葛葉稲荷申し奉るは(日本書紀神代の巻)保食神之なり
掛巻も畏き保食神は天照大神の御神勅を給はり種穀養蠺又天津日嗣を始め奉り天下萬人に衣食住の道を教へ蒼生の末の方葉に至るまで飢を養い世を賑わしめ給ふ大神なり天下萬人誰か一日として此の大神の御徳を仰がざらん
和銅元年旧二月初午の日に元明天皇は此の森に御鎮座まします大神を奉りて祭事を為し給うて以来、世人は此の森を信太の森と稱して稲荷大神第一の御命婦神白狐の棲と言い伝える

白狐口に筆をくわえて書き残したのが世に有名な下の一句である

  恋しくは 尋ね来て見よ 和泉なる   
        信太の森の うらみ葛の葉
御祭神
宇迦御魂神
大己貴命
大宮姫命
素盞男命
猿田彦命
若宮葛ノ葉姫


信太森葛葉稲荷神社(しのだもりくずのはいなりじんじゃ)は、大阪府和泉市葛の葉町、JR北信太駅の西南約300mの市街地に鎮座する神社である。 信太森神社(しのだもりじんじゃ)、葛葉稲荷(くずのはいなり)などともいう。
本殿の外に拝殿・神饌所を有し、末社に楠木神社・厳島神社・白狐社を持つ。また狐塚があったとされる。 安倍晴明所縁の社。文学・歌舞伎などで知られる『葛の葉物語』の舞台となった場所で、清明の母、白狐が住んでいたと伝えられる。豊穣・商売繁盛の他、学徳成就・良縁祈願・安産祈願・子宝・夜泣き・交通安全に御利益がある。

縁起
信太森は、奈良時代の和銅元年旧二月初午の日に元明天皇が楠の神木の化身である白龍に対して祭事を行ったことを縁起としており、信太森神社はその神木を御神体とした神社として建立された。
平安時代の中頃、冤罪で罷免された安倍保名(あべのやすな)が家名復興を祈願した帰り、猟師に追われた白狐をかくまった。そのため負傷したことが縁で白狐の化身である葛の葉(くずのは)と結ばれ、童子丸(後の安倍晴明)を授かる。葛の葉は我が子に正体を悟られ、悲しい別れとなったが、晴明は天皇の病気を治して出世し、保名の無実の罪を晴らして見事家の再興を果たした。この御利益により、信太森神社は信太森葛葉稲荷神社として知られることになった。

葛の葉伝説の詳細は葛の葉を参照。

歴史
和銅元年創建。
明治5年村社格を受ける。
明治40年1月神饌幣帛料共進社に指定。
  明治42年1月字茶の木原の村社「菅原神社(菅原道眞)」、字西之軒の同「大森神社(家船大神)」、大字富秋字堀の内の同「菅原神社(菅原道眞)」、大字尾井字雨降の同小竹神社、同大字々大門前の同「原作神社(不詳)」、大字上代字棗の同「八坂神社(須佐之男命)」、大字舞字村の内の同「菅原神社(菅原大神)」、大字上同太立會字水原の同「水分神社(水分神)」、大字上字十六善神の無格社「十六善神社」、同大字々東村裏の村社「菅原神社(菅原道眞)」、大字王子字王子の同「篠田王子社(篠田王子)」を合祀。 大正4年6月23日大字尾井字天王の同舊府(ふるふ)神社を合祀(なお舊府神社は現在も尾井町2丁目に鎮座している)。
昭和7年2月2日に阪和電気鉄道の葛葉稲荷停留場が最寄り駅として開業。駅西側を南北に走る参道があり、現在でも駅西側から神社に向かって鳥居が4本建っている。

施設
本殿
本殿は明治31年建立、その後、火災や戦火にも逢わず残ったが、老朽化のため基礎・床・屋根など新しくし、平成20年3月改修工事が完了した。本殿内には、白狐石や御霊石(みたまいし)の他に、和泉式部の歌碑や松尾芭蕉の歌碑などもある。

千枝の楠
本殿左手にそびえる樹齢2000年といわれている楠の大木(平成15年和泉市指定天然記念物に指定)。花山天皇が熊野行幸の際「千枝の楠(ちえのくす)」の称を賜る。また、清少納言の草紙に「森は信太森」と記して以来、和歌の題となっている有名な楠である。根本から二つに分かれていることから『夫婦楠』と呼ばれており、夫婦円満・良縁成就などのご利益があるとされている。葛の葉はこの神木から現れたと伝えられている。

姿見の井戸
保名に助けられた白狐が、葛の葉に身を変えた際に、鏡に代えて姿を写して確認した井戸。葛の葉が無事にこちらの森に帰りついたことから、旅に発つ前にこの井戸に姿を写しておけば無事に帰って姿を写すことができると言われている。

みたま石
本殿内に安置されている石。葛の葉が正体を知られ、保名の元を去ってこの社にたどり着き、悲しみながらこの石になったとされる。

狐の碑
御影石に「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 」の一文とキツネに戻った葛の葉の姿が彫られている。なお、当神社を氏神とする「葛の葉町」の神社横の地車庫のシャッターにもこの句が書かれている。

子安石
子安石(安倍晴明遥拝の石)。子宝、安産を願う石。

梟(ふくろう)の灯篭
千利休作の灯篭。
滝行場
本殿裏手に池と滝行場と呼ばれる石組みの行場がある。現在は滝が無く、小さい池がある状態。

葛の葉伝説
葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また、葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』、および翻案による同題の歌舞伎も通称「葛の葉」と呼ばれる。

伝説の概要
村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野キツネの生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。
保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信田の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り、別れる。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。

葛の葉を題材とする作品
説経節「信太妻」(「信田妻」とも)
地歌「狐会(こんかい)」1690年(元禄元年)頃 - 男女が入れ替わっているために立役のために作られた芝居唄と考えられている
紀海音 浄瑠璃『信田森女占』 1703年(元禄16年)
初世竹田出雲 浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』 1734年(享保19年)
歌舞伎『蘆屋道満大内鑑』 1735年(享保20年) - 同題の浄瑠璃を翻案
法橋玉山 『阿也可之譚(あやかしものがたり)』 1806年(文化3年)
曲亭馬琴 『敵討裏見葛葉(かたきうち うらみくずのは)』 1807年(文化4年)
瞽女唄「葛の葉子別れ」
映画「恋や恋なすな恋」 1962年 - 監督:内田吐夢、主演:大川橋蔵、東映
小松左京 「女狐」 1967年
横溝正史 「車井戸はなぜ軋る」 1973年
手塚治虫 「悪右衛門」 1973年
辻井喬 「狐の嫁入り」 1976年
藤原眞莉 『姫神さまに願いを』 1998年?2006年
小松左京、高橋桐矢 『安倍晴明 天人相関の巻』 2002年 西野かつみ 『かのこん』 2005年 -
落語「天神山」(上方)「葛の葉」(江戸)罠にかかった狐を逃がしてやった男の所に狐が化けた女房が訪ねてくるという物語。なお落語の方では狐が書き残す歌は『恋しくば たずねきてみよ 南なる 天神山の 森の中まで』となる。
安倍晴明を主人公とする作品には、葛の葉に触れているものもある。安倍晴明が登場する作品を参照。

関連エピソード
きつねうどん(きつねそば(たぬきとも言う))のことを葛の葉の生誕の地とされる信太(信田)に由来し、しのだうどん(しのだそば)と言う。
関西方面(特に近畿地方)の年配者には稲荷寿司を「しのだ」と呼ぶ人もいる。
明治時代の曲芸に「信田妻」と言う、両手での同時筆記、筆を口に加えての筆記などを売り物にした演目がある。
南海本線高石駅と阪和線北信太駅は開業時、それぞれ「葛葉」と「葛葉稲荷」という駅名であった。
てなもんや三度笠の主人公・あんかけの時次郎は「泉州・信太の生まれ」という設定。

神木 千枝楠ちゑのくすのき 境内案内板


狐の碑 狐の碑


姿見の井戸 白狐化身の木

更新履歴
更新:2014年11月 2日 14:34:13 今の信太森神社を追記
作成:2014年 8月22日 9:52:13 再構築
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