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名所図会 巻3-53 牛瀧山大威德寺

牛瀧山うしたきさん大威德寺だいいとくじ


牛瀧うしたき丹楓見もみぢみ
[新古今] 紅葉ゞをさこそ嵐のはらふらめ 此山もとの雨とふるなり     権中納言公任


牛瀧山うしたきさん 大威德寺だいいとくじ[全景]


牛瀧山うしたきさん 大威德寺だいいとくじ坊中ぼうちう


牛瀧 本堂

牛瀧莊うしたきのしやうにあり。いにしへは石藏いはくら五山といふ。坊舎ばうしや四十あり。本坊方は真言宗しんごんしう穀屋こくや方は天台てんだい宗。

本尊ほんぞん大威德明王だいいとくみやうわう
佛殿に安す。慧亮ゑりやうの作。

不動尊ふどうそん
ゑんの行者の作。

阿弥陀佛あみだぶつ
弘法の作。倶に脇檀に安す。

役行者堂ゑんのぎやうじやだう
自作じさくの影を安す。

多寶塔たほうたう
金剛界こんがうかい大日を安す。弘法の作。

求聞持堂くもんじだう
虚空藏こくうざうを安す。弘法の作。

鎮守社ちんじゆのやしろ
弁財天を安す。役行者勧請。

蛭子大黒ゑびすだいこくの
行者勧請。

天照太神社
太子堂の傍にあり。

太子堂
弘法大師の画影ぐはゑい真如法親王しんによはうしんわうの筆。

鐘堂しやうだう
太子堂の左にあり。

閼伽あか
本堂の傍にあり。

夫、当山は、役優婆塞ゑんのうばそく開創かいさうし給ふ。厥後そのゝち、弘法大師、惠亮ゑりやう和尚も、経歴けいれきして中興ちうこうし給ふ。いにしへは石藏いはくら五山となづく。転法輪てんはうりんみねあり。こゝに、髙坐石かうざせきありて、これほとけししの也といふ。初ゑんの行者こゝに来ッて第二のたきの上に修練しゆれんし、不動尊を彫刻てうこくして、これ安置す。いまの明王堂なり。行者、七ほう巖窟がんくつおさめ山鎮さんちんとす。いはやうち杳冥きやうめいにして、烈風れつふう多し。故に、風穴かざあなといふ。ふかさ二十町ばかり昔日むかし聖武帝しやうむてい御時おんとき、天下大にひでりす。みかど、これをうらなはしむるに、鳳城ほうじやうひつじさるすみ瀑布たきあり。雲霧うんむ、其うへに瀰漫みまんす。あめをかの地にいのり給はゝ、すなはちしるしあらん。於是こゝにおいて勅使ちよくしをしてあめいのらしむ。須臾しゆゆにして、沛然はいぜんあめくだる。みかど、大に喜悦きゑつし給ひて、かさね使つかひつかはし、たきほとりにて音樂をんがくそうかへりまうしある。これを樂原がくのはらといふ。此とき、六十六しうまた田園でんゑんを此山にわかいるる。六十六たんがうす。飛泉たきたつとみて、巖重げんぢうのたきといふ。しかしより已耒このかた毎歳まいさい六月十五日、大般若だいはんにや転讀てんどくして、五穀豊熟ごこくほうじゆくいのり、旱魃かんばつすくふ。山に求聞持堂ぐもんじだう及び两層塔りやうそのたうあり。弘法大師のたつる所也。叡山ゑいざん大乘坊だいじやうばう惠亮ゑりやう和尚をしやう、此山にきたッて大威德だいゐとくはうしゆす。此時、大威德尊だいゐとくそん、第三のたきより湧出ゆしゆつし給ふ。ところうしは、潭心たんしん臥石ぐはせき、これなり。其いしたけ、四丈。瀑布たき、これをさしはさんでとびながる。あたかも青牛せいきうみづよりをどるにたり。惠亮ゑりやう感喜かんき瞻仰せんかうして、すなはち大日岩だいにちいはたき石上せきじやうして、一たうらいし、大威德尊だいゐとくそんざうつくる。今の本尊ほんぞんこれ也。至此こゝにいたつて巖重げんぢうのたき牛瀧うしたきといふ。第一のたきの高二丈。第二のたきの高十丈。第三のたきの高四丈。此三の飛泉たき水源すいげんに四十八たきあり。曲折きよくせつ犇流ほんりうす。なを山中さんちう異迹ゐせき多し。かつ、一山にかいで多し。あきすゑには、紅錦こうかんしくが如し。ふもとよりみねまて、紅葉もみじならぬ所なし。坊中ばうちう書院しよゐんゑいじて、衣類ゐるい諸器しよきまで、べにそゝくが如し。もつとも奇絶きぜつ壮観さうかん也。騒人さうにん墨客ぼくかく、こゝにいたらずんばあるべからず。

牛瀧名山大威寺記

この漢文は、管理人のサイト編集のスキルもありどうしても上手く表示できないため、返り点などを省略しています。
今後の課題として、管理人のスキルアップの後、返り点などを付して表示したいと思っています。ご了承ください。

泉州南極有山。 曰牛瀧。 老松古檜陰森接翠蓊蔚清徽其可観矣。 絶頂有石状如青牛。 従石?(金に虖)濺出乳水霏々焉。 猶雪之飄空。 葢牛瀧之称其斯之謂歟。 昔者役行者闢葛城山毎逢嶮之處設修密壇。 此山亦其一數也。 正殿安大威德明王像六面六臂駕青牛。 叡山慧亮法師手處鐫一下刀三稽首久之後成。 威霊殊絶闡提。 生信又奉彌陀佛千像。 側者明王乃五忿怒尊之中主。 是以彌陀佛示迹故也。 因名曰寺於大威德。 相傅清和天皇登極詔亮降魔開護摩壇。 修威德明王之法而感青牛現空。 天皇嘆希。 於是亮寄來今像於本山鎮護王畿坤隅。 又一時国内大旱。 下詔祈雨無不有其應。 命一博士占出地霊遂得此瀧頭啓建道場。 未經三日雨淋一國。 天使入山威儀巖重故又有巖重瀧之穪。 後來好事者於葛城山中立二十八峰配法華二十八品。 今此最髙峯當法師品。 又有求聞持堂開山堂弘法大師堂坊舎三十餘宇。 半瑜伽者穪本坊主寺事。 半天台宗穪穀屋而勧化諸方。 近耒有牛瀧紅葉之名。 九十月間貴賤齎糧入山綿々不断。 予偶與二三子過遊于此。 霊蹤幽奇猶勝所聞今本坊。 主?(「用」の下に「皿」)某公就餘求記因書如斯且做讃曰。
泉州南極 有名道場 境穪清絶 地卜吉祥
役公所闢 垂一千霜 清和所剏 列數十坊
彌陀権化 威德明王 維霊赫々 其像堂々
忿怒形体 可敬可惶 慈悲面相 能端能莊
降伏魔外 擁護今尚 抜苦與樂 同塵和光
旱天下雨 澤及邉疆 秋峰飜錦 人自諸方
神恩日布 霊跡増彰 誰不帰仰 我故讃揚
山堅寺古 地久天長
 宝永元年佛成道後三日紫野大心統頭陀操觚于
 泉州界府蓮華堂

此山の丹楓もみぢは、髙雄たかお通天つうてんにもをとらずして、たにひきゝみねたかきも、くれなひならざるはなし。其くれなゐのなかより、三たき、だんだんにおちて、牛石うしいしさしはさみてみづをとつよく、しもそめたる紅葉もみぢば、此うしちりかさなりて、にしきしとねきせたるが如し。あるはたにかはの早きながれ、あるはいはほかたまいとまるもあり。散かたには、坊舎の書院しよゐんくりやまて、みな、くれなひにて、ひとかほも赤きめんかづきたるが如し。がんこうも、これにはまさらじとそおもふなるべし。

普照院宮元遥法親王 九十一歳
暮ぬとてさても覺へす紅葉はの下てる山の入相のかね
牛瀧の紅葉をすりうつしたるに 林丘寺宮元秀法親王
時雨せし山路のそての名残かな霜にかれせぬ霜の言の葉
瀧紅葉 風早公長卿
山みうつるもみちにものよりも秋はことなる瀧ついはなみ
武者小路実陰卿
行て見てもみちを分る秋もあらはなにうし瀧の山遠くとも
烏丸光栄卿
をとにのみさこそときくはうし瀧の山の紅葉ばいつか分見ん
冷泉為久卿
今もたれ車をとめて牛瀧のもみちのはやし秋にめつらん
武者小路公野卿
染かけてをるや錦もたてぬきに紅葉しからむ瀧のしらいと
高橋季重卿
つてにのみきゝてやまむもうし瀧の山は都のよその紅葉ゝ
義胤僧都
からにしき風の行手に織かけて紅葉をぬきの瀧のしら糸
惠通僧都
よそにしてまた見ぬもうし瀧つ波名にこそたてれ山の紅葉ゝ
紅葉する牛瀧の音は遠く雲井にひゞきてやむことなき御方のげんのはしけかりけれは
小車もつゐにとゝめむ名にしおはゝうし瀧山の木々の紅葉ば 似 雲
誹諧
うし瀧やもうもうとふも夕もみち 京 梅 盛
谷峯もわかす紅葉の入日かな 塘 雨
牛瀧のもみちを見て狂歌をよめる
紅葉見てみゝあらはず酒てぬかれはさう牛瀧うしたきもと 斑 竹

更新履歴
作成:2014年 8月24日 11:31:18 再構築
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