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名所図会 巻4-67 上道大海墓

上道大海墓うへみちのおほみのはか

同村の西南にあり。小弓宿禰の妻なり。封境、右に同し。土人、これを小陵といふ。

[日本紀]云、
雄略天皇九年三月、天皇欲親伐新羅。神戒天皇無住也。天皇由是不果行勅紀小弓宿禰、蘓我ノ韓子ノ宿禰、大伴談連、小鹿火宿禰等曰、新羅自居西土。累葉穪臣朝聘無違貢職。允濟逮乎朕之王天下投身対馬之外竄跡匝羅之表。阻高麗之貢呑百濟之城。況復朝聘既闕貢職莫脩。狼子野心飽飛飢附。以汝四卿拜為大將宣以王師薄伐天罸襲行。於是紀小弓宿禰使大伴室屋大連憂陣於天皇曰、臣雖拙弱敬奉勅矣。但今臣婦命過之際。莫能視養臣者。公冀將此事具陣天皇。於是大伴室屋大連具為陣之。天皇聞悲頽歎以吉備上道釆女大海賜於紀小弓宿禰為随身視養。遂推轂以遣焉。紀小弓宿禰等即入新羅行屠傍郡。新羅王夜聞官軍四面鼓聲知盡得?(口に彔)地與数百騎馬軍亂走。是以大敗。小弓宿禰追斬歒將陣中。?(口に彔)地悉定遺衆不下。紀小弓宿禰亦収兵與大伴談連等會兵復大振與遺衆戦。是夕、大伴談連及紀岡崎来目連皆闘而死。談連従人同姓津麻呂後入軍中尋覓其主。従軍不見出。問曰吾主大伴公何處在也。人告曰汝主等果為歒手所殺指示屍處。津麻呂聞之踏叱曰、主既陥。何用独全。因復赴敵同時殞命。有頃遺自却。大將軍紀小弓宿禰値病自薨矣。於是采女大海従小弓宿禰喪到日本。遂憂諮於大伴室屋大連曰妾不知葬所願占良地。大連即為奏之天皇。勅大連曰大將軍紀小弓宿禰龍驤虎視旁眺八維掩討逆節折衝四海。然則身労萬里命墜三韓。宜致哀矜宛視喪者。又汝大伴卿與紀卿等同國近隣之人由来尚矣。於是大連奉勅使土師連小鳥作冡墓田身輪邑而葬之。

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作成:2014年 8月30日 19:08:51 再構築
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